83年グランド・チャンピオン・カーニバルPART�兇�終了すると馬場、鶴田以下全日本勢はアメリカ遠征を行っています。
全日本プロレス的にはこのアメリカツアーを「グランド・チャンピオン・カーニバル海外シリーズ」と銘打って、日本テレビの全日本プロレス中継のスタッフも現地に派遣、6月12日ジョージア州サバンナ・シビックセンターと6月17日テキサス州ダラス・リユニオンアリーナの2大会を収録しました。
実際にアメリカでグランド・チャンピオン・カーニバルの海外ツアーと言うタイトルで興行が行われた訳ではないのですが、馬場の政治力から見て十分納得がいきました。
第1戦のサバンナではブルーザー・ブロディのインターナショナル・ヘビー級王座に鶴田が4月27日、西脇市総合市民センター、5月26日、天竜市立総合体育館に続いて3回連続挑戦。
このハイペースでの挑戦は鶴田の「インター獲り」が目前に来ていることの証明でもありました。
試合はロープ越しに鶴田がブロディにブレーンバスター狙い、エプロンのブロディも腰を落として堪え、逆にブレーンバスターで鶴田を場外に投げ落とそうとしました。
エプロン際での攻防はブロディが鶴田を持ち上げて場外に投げようとしたところバランスを崩しそのまま両者場外に転落、15分10秒、両者リングアウトとなりブロディが王座防衛を果たしています。。
これでブロディは82年4月21日に大阪府立体育会館でドリー・ファンク・ジュニアから2度目の王座獲得をして以来1.馬場2.鶴田3.天龍4.ドリー5.天龍6.ドリー7.テリー8.9.10.鶴田と防衛記録を二桁に伸ばしました。
NWAインターナショナル・ジュニア・ヘビー級王者チャボ・ゲレロはアメリカ授業中の渕正伸(正信)の挑戦を受けました。
渕は80年9月に大仁田と一緒に海外修行に出発し、プエルトリコ、テネシー州ではマサ・フチのリングネームでヒールとして活躍しました。大仁田が帰国した後はフロリダで試合をしていましたがようやく馬場からチャボの挑戦者に抜擢されました。
試合はチャボが場外の渕に向けてプランチャ、渕も場外でバックドロップ。両者後頭部を打って共倒れとなり9分51秒、両者リングアウトでチャボが2度目の防衛。
結局、この日行われた2大タイトルマッチの再戦が8月31日、蔵前国技館で行われるテリー・ファンク引退記念興行にそのままスライドすることになる訳で、仕込みは十分といったところでした。
馬場は天龍とのタッグで国際プロレスに来日したジェイク・ロバーツ、未来日のゴールデンボーイ・グレイ組と対戦。
馬場が河津落としからの体固めでグレイを一蹴、格の違いを見せ付けました。
この日のサバンナ大会はノースカロライナのジム・クロケットの主催興行でした。
2日前の6月10日、ミズーリ州セントルイスでハーリー・レイスに敗れNWA世界ヘビー級王座から転落したばかりのリック・フレアーはノースカロライナ地区での宿命のライバル、グレッグ・バレンタインの持つミッドアトランティック地区認定USヘビー級王座に挑戦。
レフェリー暴行による反則負けとなっております。試合結果だけを見ると不調のように思えますが、
フレアーの王座転落には伏線があり、クロケットがこの年の秋に予定されているビッグマッチ、第1回大会「スターケード」(WCWになってからも継続開催されたプロレスの祭典)を成功させる迄、いわゆるバックバナーに回ることになっていました。
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