『ペイルライダー』
ジョージスティーヴンスの軌跡を辿れば『シェーン』のラストの少年の声、モラルよ帰ってこい、とも思えるけれど、いまのアメリカのノアの方舟とか創世記を信じている人々がめちゃくちゃ多い時代に比べたら信じられないぐらいモラルの低下があったと聴くが、そんな神ではなくヒューマンを信じるころ〜と同時に、アンチ前の時代〜だからこそ、ロックンロールが絶好調に延びてきたり、モラルの回復の願いもありベンハーや十戒がシネスコでスペクタクルに大公開されたりと聴くが、『ペイルライダー』には神を敬うセンスはないだろう。アンチ聖性のイーストウッドはヒトを描く。
メモ
★ペイルライダーはかつて観たとき、なんだかヘンな西部劇という感じだったけれど(それはイーストウッドのどいつもの西部劇に言えるのだけれど)、キャプラやフォードの時代のアメリカとは違う、ヒッピー以後の普遍性があるのだと今回は思った。シェーンではない当時(85年あたりのアメリカかな)の現代性だけれど、つきつめれば人間の普遍性- 神ではないヒューマンの在り方 -が在るのであり、だから70年代から現在においての長いスパンでも通じる、人のこゝろに届くもの在るのかとイーストウッドに思う。『ペイルライダー』、流れ者が町にやってきて皆を助け、そして去っていくといった、なんの変哲もないアメリカンなフォルムでなんてことないようにみえつつ、やはり不思議な映画である。
★オープニングクレディット
* 人が保ちたい平穏を奪うべくラッシュする馬とマイペースに争い事なく生活をするゴールドラッシュの人々とのカットバック。夢を求めるヒューマンの穏やかな生活を切り裂くような音のインサートが成される。
★エンドクレディット
* 崇高
* 険しい山の如きの人生
★牧師(プリーチャー)
* 崇高な存在
* 皆の意思をひとつにする。
* 母娘が魅惑される。
* 過去からの声
* 主人公の牧師はまるでパゾリーニの『テオレマ』の主人公のように、ゴールドラッシュの村の人々を魅了してゆく。
★娘
* 穢れある純粋な聖性的存在
* 『ミスティック・リバー』の娘や『ミリオンダラーベイビー』の女性に受け継がれるものがあるのかもしれない。それは或いは、『ダーティハリー』のソンドラロックや『許されざる者』の顔を切られた娘にも重なるものなのかもしれない。
* 去っていくプリーチャーに向かって娘が「みんな貴方のことを愛している」と言う声、「シェーン、カムバック」に比してアンチ聖性が表わされる。
★母
* かつて恋人だった女性なのかなと思ったら、そうでもない。
* 生理性としての本能
* 主人公の牧師はまるでパゾリーニの『テオレマ』の主人公のように、ゴールドラッシュの村の人々を魅了してゆく。
★人々の権利
★リベンジ
* エモーションの叫び
★土地を買い占めるブローカー
★7人のガンマン
* 黙示録の仔羊たち、神の力、富、知恵、威力、誉れ、栄光、賛美を受けるのにふさわしい方たち
p.s.
来世や死んだ後に幸せになるより現世で愉しむ方がだんぜんいい。スコセッシとリンチは厭世観があり、ヒトはこの世で罪人であるセンスが強く、この世界は辛い、来世で愉しみましょう的なのが強く、だから、いまのアメリカには受けるのかもしれない。フィロソフィカルにおもしろいけど、いま観るには重いかな。スピルバーグとイーストウッドには、まだ、パッパラパーに現世を愉しみましょう、という姿勢があるから、たのしんで観れる。世界中だけではなく、アメリカにもそうした大衆はかなり多いと思われる。ポップコーンとペプシな国民だから当たり前である。
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