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2016年08月10日15:05

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インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説



『インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説』
   スピルバーグは子供たちの解放を謳い、平等を希求する。一方、ルーカスはアメグラに表わされるようにアナログ ヴァイニル オールディーズを愛し、スペースオペラやコミックを愛す。テクストに蔓延する偏見なんかへっちゃら、悪のインディアンはテロリスト、冒険野郎がぶっつぶす。C’mon Make My Day! マーロンブランドは怒り心頭、かもしれないが、ルーカス、そしてスピルバーグはイメージにのみ言及するのである。フォードに出てくるインディアンを指差し、あれはインディアンなのではない!ネイティヴアメリカンなのです!と言ったら、逆に、ネイティヴアメリカンに対して失礼極まりない。あれはイメージでしかないのだから。我々は爽快を夢見る。オーディエンスは動き回るアドヴェンチャー、真心をみる。子供心はポリティカルコレクトネスより、心の奥にある真心を感じるのだ。
   ヘイズツアーにも匹敵するトロッコツアー。バックプロジェクションのようなアナログなエフェクトがインディ・ジョーンズには似合う。フォーリーズ・ガールズのオープニングから、象に乗ったショートからのトラック・バック・ショット、キスをするインディとウィリーに集まる子供たちまで、エンターテイメントが満載だ。それでも、お父さんこれに乗ろう、次はあれに乗ろう、と集団でアミューズメントパークを駆け回るような『クリスタル・スカルの王国』に比べると、起伏がある。へき地の奥へと入っていくワクワク感、そうした絵づくりに満ちている。地下からの再び、この地への上昇、人と人との結びつきというHOMEへと戻る。
   『宇宙戦争』においても『魔宮の伝説』においても、スピルバーグは地下組織を嫌っている。ハーランやモラ・ラムといった地下に潜るヒトは、人と人との結びつきにおいて憎悪を生み出している。そうしたメモリー(イマージュ)を内在させている。『ジョーズ』のクイントもまたそうであろうし、『シンドラーのリスト』のアーモン・ゲートもまたそうであろう。『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』と『ミュンヘン』においてもまた、主人公は地下に潜っている。主人公はアイデンティティを自らの意思によって捨て、悪とは何か善とは何かの生の姿を学びゆく。彼らはイメージに生き、そしてこれらの作品では、イマージュとは何かもまた考えていくのである。



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