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2016年06月08日23:30

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オンリーゴッド

オンリーゴッド

ウィンディングレフンがホドロフスキーに影響を受けているとすれば、ふたりに共通するところを探せばいいであろう。そしてそれはたぶん、アフェクション、すなわち慈愛というものだろうか。ライアンゴズリングの眼差しには世界を哀しむものが表されている。ホドロフスキーにもそれはある。ヘルツォークは世界に対して、ある意味、驚異の感覚を表しているが、ホドロフスキーはネイチャー(自然/本質)に対して、哀しみを表している。同じサウンドであるが、悲しみではなく、そこには哀しみがあるのである。悲しみには色気は表されないけれど、哀しみには色気がある。ホドロフスキーとウィンディングレフンにはそうした共通点がある。無味に透明なのではない。意味を持つ人間性が包まれる。

                     ★

リンチやフォントリアに似ている。リンチ的なゆっくりとしたトラックインショットの廊下の闇、男の尊厳が求められる。そして、その奥にあるのはやはりリンチと同じような、子宮的な奥行きである。

                     ★    
     
男女の差異が表される、というより、求められる男の尊厳を追いつつ、その先にある、男を産んだ母性というものの奥行きに入っていく。リンチ、或いはキューブリック的なものであるが、ウィンディングレフンの場合は、同じ北欧のフォントリアと同じように、女性差別的なマッチョなものを感じる。バイキングの国ゆえであろうか。

                     ★     
    
息子はけっきょく母を超克することはできなかった。死んだ彼女に刃を向けるだけしかできない。彼は母のお腹に手を入れ、その暖かみを感じる。アフェクションは暴力性を包み込んでいる。

                     ★

しかしそれにしても、あまりにも芋づる式の上に、すぐに口を割る流れに、あまりに脆さを感じてしまう。が、これもまたウィンディングレフン的には偶然の取り入れを表しているのだろうか。

                     ★

口を割るシンジケートのボスはその快楽を封じられるように、目と耳、そして動きを司る手足を刺される。主人公は父を殺した素手を切られることを暗示される。贖罪からの開放か。そう考えればホドロフスキーのエルトポ、あの死は世界からの開放を表しているかのようである。総じて暴力性からの離脱、、それが悦楽というものなのだろうか。




P.S
 やはり、あのタイ人の男性も忘れるわけにはいかない。ゴッドなのかな、単純に。とりあえず、”存在”ではある。そう表されている。
 あーそれと、このテクストには男になるための通過儀礼が表されたけれど、この男になること、これはホドロフスキーの大きなテーマである。


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