82年10月1日、横浜文化体育館でのジャイアント・シリーズ開幕戦では大仁田とチャボ・ゲレロによるNWAインターナショナル・ジュニア・ヘビー級王座決定戦三番勝負の第1戦がセミファイナルで組まれました。
7月30日、川崎市体育館の試合は両者ダブル・フォールの引き分けでしたが、チャボのジャーマン・スープレックスでフォールされていたのは大仁田の方であり、大仁田の敗色濃厚な中での無判定試合でした。
それだけに大仁田は汚名返上とばかりスタートからトペ、フライング・ボディアタックと積極的な攻撃。
チャボも負けじとエルボーバットの応酬から場外の大仁田にプランチャ。
しかし、王座返り咲きに賭ける執念は大仁田の方が上回ったか、チャボの2発目のダイビング・ボディアタックをそのままキャッチするとブロックバスターホールド、11分48秒、大仁田が体固めで勝利しまず1勝を挙げています。
ちなみに、ブロックバスターは日本では2種類存在します。
1つがこの時に大仁田がフィニッシュに使った相手を横抱きにしておいて後方に投げつけるジョージ・ゴーディエンコ型。
このままブリッジしてフォールに持っていくホールド式は75年5月30日、後楽園ホールで猪木がザ・プロフェッショナルを相手に初公開。有名なところでは同年10月9日、蔵前国技館でのルー・テーズとのNWF世界ヘビー級王座防衛戦でフィニッシュに使っています。
もう1つがザ・サモアンズ2号のシカ・アノアイが見せたエアプレーン・スピンの体勢に担ぎ上げてから後方に落とすもので国際プロレス時代にこの技でフォールされたアニマル浜口がエアプレーン・スピンで回転してから後方に投げつけるスタイルのものを使っていました。
こちらはバックフリップ、あるいは元祖シカに因んでサモアン・スープレックスとも呼ばれています。
ただ、後方への投げ技の全般を一般的にバックフリップと表記しているマスコミもありますので、私はゴーディエンコ型はただのブロックバスター、シカ型はブロックバスター(サモアン・スープレックス)と書いています。
メインイベントは馬場、鶴田組vsブルーザー・ブロディ、ニコリ・ボルコフ組のインターナショナル・タッグ選手権試合前哨戦。
怪力ボルコフは鶴田をワンハンド・ネックハンキングで豪快に吊り上げて見せ場を作りました。
ブロディも馬場にドロップキックからキングコング・ニードロップ、すかさずフォールの体制に入りますが鶴田が巧妙なカット。
この後場外戦となりましたがブロディが一足早くリングに上がり、ブロディが馬場にリングアウト勝ちで前哨戦は挑戦者チームが勝利を飾っています。
謎のマスクマン、ドリーム・マシーンはジプシー・ジョーとのタッグで天龍、石川隆士組と対戦、マシーンがペンデュラム・バックブリーカーで石川をフォールしていますが、ペンデュラムは桜田の得意技であり、早くもその正体の片鱗を見せています。
ビクター・リベラは阿修羅・原に、ラリー・ズビスコは佐藤昭雄にあっさりと敗れ新日本からの移籍組は開幕戦からいいところなしです。
第2戦は10月2日、ノーテレビの後楽園ホール大会。
メインは馬場、原組vsブロディ、マシーン組でブロディが原をキングコング・ニードロップで撃破。
セミは鶴田がリベラをコーナーポスト最上段からのダイビング・ニーパットから体固めで完勝しています。
10月4日、千葉県夷隅郡大原町消防署前グラウンド特設リングで川田利明(当時18歳)がデビュー戦を行っています。
川田は足利工業大学付属高校レスリング部の三沢光晴の1年後輩にあたり、三沢を慕って高校卒業後の82年3月、全日本プロレスに入門、半年間の練習生期間を経てのデビューでした。
川田は第1試合で冬木弘道と対戦し逆エビ固めでギブアップ負け、この後全日本プロレスの新人は85年に小川良成がデビューする迄なく、川田はなかなか勝ち星を挙げることは出来ませんでした。
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