メモ(メモったけど違うような気もしてくる。だから、メモなのである)
★ 『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』
*アンゲロプロスとウディアレンの長回しには驚かなかったが(註1)、このテクストの長回しは『憎いあん畜生』を観たときなみに驚いた(註2)。
* DCやマーベルに湧くアメリカに対する、虚と現に関する自問。日本でもワンピースが歌舞伎化されたけれど、このテクストの最終盤、ブロードウェイにもなったスパイダーマンが表わされちゃったりする。女性クリティックは演劇(或いはアクター)を芸術としハリウッド(或いはスター)をこき下ろすが、西海岸も東海岸もいかなる“アメリカ”においても(そして、いまの世界のほとんどにおいても)そうした見方は成立するわけもなく、もはや総てがオールザットジャズでありエンタメだ(註3)。
* 長回し
・ 本質を追う。
・ 彼らアクターにとっては、アクトが感情そのもの。その本質を追うかのような長回しは、(虚構というよりは)想像/劇場の中と外、エモーションをYO! デペイズメーン。興行という名の恐怖、“スター”、アメリカン家庭問題、虚と現とに分けることできるわけもないエモーションが、その構築のなか浮かび上がる。
・ 意識の志向性 → 演劇ではなく映画であるということ。恣意的に動かすのではなく、合点合致させることによるディスカヴァリー。
・ 日常の切り取りは、その写真性、演劇ではできないような映画性を発揮する。
* 虚構/劇場の中と外
* 興行という名の恐怖
* スター:なんでもできる存在
* 観念に対する批判的考察
・ 権威と化したクリティック
・ インターミッションで外に出てくる、いかなるものも日常言語化したオーディエンス
・ スター:なんでもできる存在
・ 興行
・ ハリウッドとブロードウェイ
* イメージに対する批判的考察はあれども、想起想像はそのアメリカンドリーム、夢見られる。それはハリウッドだけでなく、エンタメの世界だけでなく、いかなる出来事においても大切なこと。それは自身の想像的超越かもしれないし、変容されたネイチャー(自然=本質)、すなわち現存する人間性の肯定なのかもしれないし、いかなる貴方が見る夢が、ラストの自己分裂アメリカン娘の見る、その創造的領域に語られしおん。
註1 前者においては長回しの知識がないときはじめて観たので、それを気付く以前になんだか冗長的だなと眠くなり、後者においてはやり取りがオモシロいからかあまり注意がいかなかった。
註2 『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』はこれ見よがしだったから注意が喚起したのかもしれない。『憎いあンちくしょう』においてはまさか日活のプログラムピクチャーに長回しがあるとは思わなかったから驚いた、こりゃ失礼。
註3 マンキーウィッツの『イヴの総て』は、ハリウッドのブロードウェイに対するカウンターパンチ的なところあったけれど、『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』においては、特にエンタメ世界においてであるが、あらゆるこの世界に対する自己考察的なものが強くなっている。
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