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2015年10月28日12:14

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ゴダパゾ、或いは パート54




  ベルトルッチの『1900年』の第2部、オルモがパルチザンになるとか、人々と土との繋がりが描かれるような泥臭さが表されるのかと思ったら、ほとんどメロドラマだった。オープニングの絵画が美しく、モリコーネの音楽があまりにも美しかったので、もっと人民あらわすものかと思っていた。
  いかなるものにも先入観をもってはいけないが、デニーロが演じる人物は無力なブルジョワであり、ラストエンペラーの祖形かのよう(そうした人物はこのテクスト以前にも表されていたが)。冒頭でも戦後のイタリアの解放が表されていたけれど、ベルトルッチが一番あらわしたかったことが、その後の人民裁判なのかと思ったけれど、ラストの俯瞰のロングショット、ふたりの小競り合いは少年時代の彼らに戻ったかのようというより、なにか哀れさあらわすもの。ウラディミールとエストラゴンのようである。俯瞰は神の目か?『パートナー』では不条理劇風だったけれど、やはりゴドーのふたりなのかな。
  なにか、ベルトルッチの時代に対する不安が表されていたような感じがする。アントニオーニのように、過ぎ去る時間への不安。ヴィスコンティのようなデカダンではないけれど、同じようにブルジョワの儚さへの憐れみ。しかし、ベルトルッチの方は、パルチザンの兵士であったヴィスコンティと違ってあまり骨太な精神ではなく、あまりにも繊細すぎる。ラストタンゴも暗殺の森の主人公も儚さ表されるけれど、急進的なアナーキーさあった。たぶん、1968年ごろは期待に胸をふくらませるところあったのだけれど、どんどんアナーキーになっていく時代のなかでパゾリーニの死やアウトノミア運動が起こり、それに対して彼のなかに時代へのクエスチョンが生まれてきたのかな、と思ったりもする。そうしたセンスのテクストに思えた。またあらためてあらためて考えよう。



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