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2015年01月25日07:31

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TOKYO TRIBE

TOKYO TRIBE(2014)
  オモシロかった。けど、お下品でしたわ、オチがチ○ポの大きさだとかどうのこうとか、とっても耐えられませんことばかり。とても口では言えません、お下劣。耳栓して耳にガムテープを二重三重に張りまくって、そんでもって両手で両耳をふさいでして聞きたくないぐらいお下品でしたわ。ひたすらにお下品ざましたけど、パンチラは最高ざました。オトコはそれを我慢できない。
   園子温にはいつも男性的欲望が表される。『TOKYO TRIBE』はそうした欲望が表されるわけであるが、『愛の剥き出し』と同じようにそれが愛として表されている。『愛の剥き出し』は高校生たちの愛であるがゆえナイーブなものであったが、『TOKYO TRIBE』ではもっとそれがプリミティフにワイルドとなって表される。そうそう、前作『地獄でなぜ悪い』もそれに近いものあったっけ。『地獄でなぜ悪い』ではそれまでのテクストに表されていたナイーブさも繊細さは軽減され、『TOKYO TRIBE』ではもはやそれは無の極地なのである。その究極への志向がオモシロい。
  思えば、『愛の剥き出し』は他者への愛が表されていても、それより自我の噴出マスターベーションな異様さが特出されるのであった。同じように、家族愛や異性や同性への愛が描かれるものが柱になっていても、『紀子の食卓』も『冷たい熱帯魚』も『恋の罪』も、自我噴出の異様は異常であった。ところが、『地獄でなぜ悪い』では、コメディだからそう見えたのか、異様は抑えられ他者性への気持ちがより表される。以前のテクストにあったテーマ的な装飾性がなくなり云わんがためのテーマが調えられ、『ヒミズ』から他者への愛がシンプルに表されてきたのかな。他者性へは愛をもって志向すること大事なこと。でも、園があらわすものはやっぱり異常にみえる。でも、民族学的には、あの〜、その〜、園が表すものは正しいのかもしれない。
  デヴィッドバーンはアメリカン音楽のルーツを探すことで、ラテンアメリカやセントラルアメリカ、或いは西部やらに赴くのであろうし、ペーターゲイブリエルは世界各地の音とはなんぞやって感じであちゃこちゃエスノを探求しポリリズム的に取り入れたりしているんだけど、民族学的な感じだけれど、ヒップホップカルチャーもまた他者性のなかで生まれたはず。だから、U.S.A.のそれと内向きなテンデンシーのガラパゴスのそれとではたぶん違うもの生まれてきているはず。しかしそこには、また別の他者性、『七人の侍』のラスト・シークエンスで稲刈りの9月に皆で汗を流すような、そんなOTHERSが表される。さ〜皆さんご一緒にっ!的なIndividualが、他者性を彩る。このゴッタ煮なカオスは、他の東アジアに比しても異様であるが、このPeasant感覚、ミレーは喜ばないでもゴッホは喜ぶにちがいないのである。ゴッホが憧れ焦がれたガラパゴスには、彼が脳みそに描いていたような異様が表されている。そして、異様ながらも他者への眼差し(註)、『TOKYO TRIBE』や『地獄でなぜ悪い』で暖かみ増してきているように思える。稲の香りの暖かさ、泥臭さ、外国人からみたらグルグルまわってグツグツしている思考の分からなさ、それがガラパゴスの温暖気候を支えるのである。
   暖かみの変化とともに、別の変化も表されている。本家ガラパゴスと同じように、生命体の異能な変化が我々の住むガラパゴスにおいても表されるわけだが、『TOKYO TRIBE』にはそれ表されるYO。クラブが描かれる映画作品では外国人がストリートやクラブんなか会話しながらとかの素通り多く見られるわけであるが、だからだろう、このテクストはギロッポンをあらわすの避け、ホンコンからの来客が出てくるまで表されるのはジャポネーズばかりであり、ガラパゴスなジャポンあらわすこと強化するのだ。ジャポネーズが得意とする様々に自我に取り入れ新たなミュータントをクリエイトするその特有な性癖により、ヒップホップは他者性取り入れを独我的なガラパゴスに変容させる。稲の泥臭さはドンブリの香り、ゴッタ煮に 研ぎ澄ませり ガラパゴス。
  ガラパゴスのイグアナは様々な色に変化しないが、カメレオンは様々に色を放つように、時間は明示されつつ空間感覚が秩序だってながらにもメチャクチャなのは、『自殺サークル』をさらに上にいくハチャメチャであり、三池崇史や黒沢清のムチャクチャぶりと似てきており、さらに上をいく。その〜、あの〜、園子温はやはりダダイスト詩人である。
  男性的欲望は愛であり、それはもっとプリミティフに表されており、そしてそれは日本人的に、ゴダールにお仏蘭西や、或いはハリウッドを巡り巡って西洋が介在するその視点において異能ミームとして、劇場空間でビームされる。その発光、ダダイスト詩人の“チンポ”はさらに大きくなることを求めているはず。。。あらっ、愛の剥き出し的に言っちゃった、、あの〜、その〜、園はそれを我慢できない。次なるものも異様に愉しみである。


註:異様は西洋的な視点が映画に介入されてきたから起こるのであり、ニッポン人的なミームにおいては異様にみえるものは異様なのではなくとっても正しいにちがいない。エスタブリッシュ・シークエンスから、江戸ダイナスティ的な、イマヘイ『ええじゃないか』とジブリの混入など、ジャポネーズ・ミームが顕在している。


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