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2015年01月17日20:58

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                 イタみ十三 その8

『花とアリス』を観る。これまで少々ゆがんだ感を感じていたが、今回はとても素直さに満ちてる感を感じる。尺もこれまでえらい長いなと思っていたのも、今回は長くは感じず。観るときによって感じ方も変わるが、観るこちら側の変化なのかもしれやぬ。これまでになく感動する。


『花とアリス』、花が舞台袖で号泣するクロースショットと先輩が落語るとこのカットバック、過剰すぎるきらいもあるけど(でもって、そうしたカットバック、他にもいくつかあった)、あれが岩井ワールドなのかもと思った。ミポリンが出ているあれもそうしたのがあったような記憶だし、スワローテールはどうだったっけ、そうだっけ、たぶんそう。Too muchがやはり現代的にモダ〜ンなのかな。



  『キューティーハニー』久しぶりに観る。ラブ&ポップや式日のアマチュアセンスが続くの、そのカドラージュや映像の質感や質料だけでなく、その形相あらわすべくの市川実日子さんや加瀬亮さんなどのキャスト、或いは、コテコテだけどナチュラルだけどやっぱりコテってる篠井英介さんやミッチーなど悪の軍団のキャスチングも、そのナチュラルにアマチュア感覚に適応している理由を生んでるの分かる。アマ感覚も、そのデコラージュとモンタージュで、サトエリハニーの身体性、そこにあらわされる刻まれ感覚とマッチングしてカッチング、カッコいい。"中"にいてもヒトはときおり疎外感をもつと思われるが、アンノのセカイには、エヴァにおいても上記の実写作品にもそれがあんの。ラストのシークエンスにそれは明確にあらわされていたが、全体においてもそれはきっとあんの。
  実家で母が兄たち家族と住みだしたが、母に笑いかけ一緒に楽しんで母も寂しさ感じずにいるのだがときおりプイっとするんだけれど、それもそうした感覚なのかなとも思ってしまった。孤独、ってよりは、疎外、、そないなもの。それもまた集団的無意識なものなのであろうか。あるいはDNA的にミームなものなのか。ヒトとはやはり不思議なクリーチャーなのであり、最近まるで映画のようなセカイのイヴェント、すなわちオランダやスイスで行われる安楽死、YouTubeにあらわされる愉快犯かなにかのメッセージか分からない若人の映像、そして表現の自由か宗教への侮辱かの議論にも、疎外というもの見え隠れする感じする。


というわけである。
  孤独や疎外ってテーマ、アントニオーニの得意技であるが、ヒトは誰しも、そうした感覚に突如としておそわれると思われるが、それもきっと普遍的なものだからアントニオーニは多くの人のこゝろを掴むと思われるが、なんとなく『リンダ リンダ リンダ』を観たくなったと思い、それゆえに借りるが、よくよく思い出せば、アウトサイダーな思いは表されても、孤独や疎外っての描かれていたのかな、とも思ってくる。


志村けんの動物の番組にデヴィ夫人が登場したとき姪は誰コレ?と言ったので「デヴィ夫人」と答える。姪がデヴィ夫人をテレビ番組のどこかで見たことあると思ったのか、夫人から発射されるオーラかアトモスフィアに敏感に感じたからそう言ったのか、どっちか分からないけど、たぶん後者なのだろうけれど、私の父なら、むかしむかしインドネシアにスカルノという名の大統領がいまして、その人の2号さんで、、という説明を幼い姪に言ったであろうが、デヴィ夫人はもはやキャラでいいのである。『水の声を聞く』で村上淳さんが形象化しているものスゴいと思ったけど、『キューティーハニー』の村上さん、フィクショナルなもののなかでの現実化これまたスゴいと思った。フィクショナルなもののなかでのリアリティとはなにか考え深く感慨深いものがががある。レディガガもまたそうしたイシューをあらわしているのかな?




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