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2024年03月09日01:30

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オーウェルの「1984年」がメディア批判なのも知らない?

メディアの人間が、ジョージ・オーウェルの「1984年」を持ち出してきたら、実は「読んでない」ってこと。
だって「風刺」でメディア批判ですよ?
きっと、「オーウェルは全体主義の批判を書いた」と誰ぞが言うのを、鵜呑みにしてるだけ。

まず第一に、「風刺」というものを理解してますか?
「風刺」とは、他国の批判をするものではありません。
あえてやるなら、「自国だろうと他国だろうと、風刺する」の強い意志を持つべきです。
オーウェルが「ソ連の批判を書いた」なら、安全圏にいながら吠えてるだけの卑怯者!

第二に、自国に「言論規制」があると、自国批判の「風刺」は危険です。
それでも「ストレート」な「風刺」を「命がけで書く」のは、愚かですよ?
「物語」が持つ本来のスペックを理解してないだけですから。
こういう場合は、ちょっと「仕掛け」を入れて、カムフラージュしてやればいいんです。
平気で「言論規制」をやる者、乗っかる者は、理解力が低いので、簡単に引っかかります。
だって「なぜ、言論規制をやってはいけないのか」も理解できないから、言論規制をやるんでしょう?
ちなみに、オーウェルが作品を書いた当時の英国には、「言論規制」がありましたからね!

第三に、「1984年」は「非現実的架空世界」です。
なのに「ソ連の批判を書いた」とかって、「現実のこと」に「すり替わっちゃう」から、理解できないんです。

森鴎外は「舞姫」で、「ドイツ人の女性」に批判が向くように仕掛けました。
ベルリンの実際など知りもしないくせに「わかってるつもり」の者たちが、あっさり引っかかりました。
オーウェルも同じです。
「ソ連の批判を書いた」と言う者は、「ソ連」の何がわかってて、言ってます?
「全体主義の恐怖を書いた」と言うのも同じで、「全体主義国家」の何がわかってます?

もし本当に「わかってる」なら、ちゃんと「気づく」ポイントがあるんですけどねえ。
作品の中で「主人公」は、「真理省」という「官庁」に勤務してます。
この「真理省」の正体、「真の意味」に「気づく」はずなんですよ?
なにしろ「全体主義国家」なんですから、すべての基幹産業が「国営」のはずでしょう?
ゆえに「真理省」とは、国営テレビ局であり、国営新聞社であり、国営出版社である「総合メディア」です。
でも、ここに気づかない人は、「真理省という官庁の役人」だと「思う」だけ!

「架空世界」の「風刺」は、「どんな世界なのか」を理解すれば、あとはストレート。
「主人公」は国営新聞社の記者で、「主人公の恋人」は国営出版社に勤務する小説家。
余談ですが、夏目漱石が最初は「新聞社に勤務して、小説を書く社員」だったのを、知ってます?
この程度の「知識」が、ちゃんとあって、作品の「世界」の理解に結びつけば、わかること。
たとえ、作中に「新聞記者」とか「小説家」とか、ひとことも書いてないとしても!

さらに言えば、自分の「商売」をきちんとやってる人は、おかしな同業者が、わかるでしょう?
いいかげんなことをしたり、あこぎなことをしてれば、「あいつはヒドイな」とわかるでしょう?
客の側からは見えないことでも、業界の中では、わかるものでしょう?
私は本来「小説家」なので、「主人公の恋人」が「とんでもねえ小説家だ」と、すぐに気づきました。
それが突破口となって、「そうか。主人公は新聞記者なんだ」と、気づくに至ったわけです。
メディアで働く人なら、私の反対で「主人公」のほうを「こいつ、とんでもねえ!」と気づくはず。
それを「気づかない」ってなら、自分が「いいかげん」だから気にならないか、実は「読んでない」か。

「風刺」とは、特定の職業や、個人を攻撃するものではありません。
「1984年」の場合は、当時の英国の「言論規制を受け入れてしまう社会の風潮」を風刺してます。
「舞姫」では、もっと根本的に「自由主義について無関心な社会の風潮」です。
そして「国語教育」は、「言論の自由」を基盤とすべきなのに、「自由」の問題に鈍感ですよねえ?
作品を読んだところで、理解はおろか、「感じとる」こともないんだから!

なお、「舞姫」は「風刺」のみですが、「1984年」は「風刺」と「寓話」のハイブリッドです。
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