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2018年09月30日13:15

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映画日記 『ヒトラーと戦った22日間』

2018年9月29日(土)

『ヒトラーと戦った22日間』(2018年)
監督:コンスタンチン・ハベンスキー
矢場町・センチュリーシネマ

ときは1943年10月、舞台はナチスドイツが占領するポーランドのソビボル強制収容所。
この収容所にも映画『サウルの息子』で知ることになった、死体処理などドイツ兵たちの下働きをするユダヤ人たち、ゾンダーコマンドたちがいた。
かれらの中に、脱走を計画しているグループがあった。
グループはひそかに連絡網をつくりあげていたが、いざ脱走となると、状況を判断し的確な指示が出せる強力なリーダーが必要だった。
そんな彼らの前に、サーシャと呼ばれるユダヤ人の赤軍兵士捕虜があらわれる。
ミンスクの収容所で脱走に失敗し、多くの仲間を失った辛い過去があるサーシャだったが、ソビボル強制収容所でのたび重なる惨劇と屈辱に、堪忍袋の緒が切れた。
この怒りはグループ数人の脱出ではすまされない。
脱出するなら、収容者全員だ!!!
サーシャは脱出者たちを引率する“モーゼ”役を引き受け、その計画を語り出す。
それは・・・・

あらすじだけなら『大脱走』みたいな映画を想像してしまうが、実話を元にした同じ脱走劇でも、たとえばスティーブ・マックィーンのオートバイシーンのようなカラッとした痛快感が、本作にはまったくない。
これでもかと画面をおおいつくす死体、女性を含む衆人環視のなかでズボンを下ろされ尻を鞭打たれるインテリ青年、不始末の連帯責任として広場に集められた収容者たちの10人にひとりをドイツ兵が喜々として次々と射殺していく。
送られてくるユダヤ人たちの持ち物から、高価な品をあたりまえのようにくすね、死体の金歯から指輪を作る。
いずれも、実際にあったことだろう。
ドイツ軍の将校や兵士たちの無慈悲で不快な悪行に、映画ということを忘れ腹が立ってくる。
いっぽうで、これが戦争なのだと、陰鬱な気分になる。

終盤でドイツ軍の下衆野郎たちを、収容者たちがまるでやくざ映画の殴り込みシーンのように、次々と血祭りにあげていく。
しかし、やくざ映画のようなカタルシスはまったくなかった。

本作は、見る機会が少ないロシア映画だ。
遺品となるユダヤ人たちの旅行鞄がうずたかく積まれたセットの緻密さに感心した。
うーむ、これもモスフォルムからの伝統だろうなあと、ひとりで勝手に納得した。


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