2016年10月10日(月)
『Start Line』(2016年)
今村彩子:監督
駅西・シネマスコーレ
いわゆる自主映画作品らしい。
監督の今村彩子は名古屋在住の聴覚障害者だ。
そのハンデからか、これまで他者とコミュニケーションをとるのが苦手だった。
このままではいけないと、一念発起し沖縄から北海道の宗谷岬まで、自転車で日本縦断することにした。
旅先での見知らぬ人びとの出会いを通じて、誰とでもコミュニケーションがとれる人間になることを願うのであった。
・パンクをしても手を出さない
・健聴者との間に入って通訳はしない
・撮影すること以外は助けない
などの条件のもとに、自転車屋で知りあった男性に伴走してもらうことにしたのだが、この男性がとても厳しい人だった。
交通ルールを守っていないとか、パンクで困っているサイクリストを見かけても無視したとか、何度も監督に叱責の言葉を投げかける。
そのうち監督もぷっつんして大喧嘩になってしまう。
はたして、ふたりは宗谷岬にたどり着くことができるのか。
そして、監督の願いは叶うのか・・・
今村監督が私なんかより十二分にコミュニケーション能力がある人に見えた。
私もときどき旅行に出かけるが、旅先で見知らぬ人に話しかけようなんて、思ったことがない。
普段だって、ひとりで入った飲み屋のカウンターで隣席のおっさんから話かけられたら無視すると思う。
そんなわけで、偏屈な自分には、けっこう耳の痛い映画だった。
昔、自転車旅行が好きだったという理由だけで見に行った作品。
日本縦断には2ヶ月かかるのとのこと。
ああ、もう無理。
『みかんの丘』(2016年)
ザザ・ウルシャゼ:監督
東新町・名演小劇場
恥ずかしい話だが“ジョージア”とか“ジョージア人”という言葉が出てきたので、アメリカのジョージア州がどうして出てくるのだろうと不思議だった。
さっき作品のHPを見たら、ジョージアはグルジアのことだった。
しかし、そのジョージアとチェチェンとロシアとエストニアが互いにどんな対立関係になっているのか、まったく分からない。情けないがこれが実情だった。
それでも、見てると映画の舞台は局地的ではあるが、普遍的なテーマだった。
東欧のとある寒村に、ミカン農家と収穫用のミカン箱を作っている職人、ふたりのエストニア人が住んでいた。
ふたりが仕事をしているとき、近くで戦闘が起こる。
多数の死者が出たものの、瀕死の重傷を負いながらも奇跡的に敵対するふたりの兵士が生き残った。
ミカン箱職人の老人は自宅に兵士たちをかくまい、看病した。
やがて、傷が癒えてきた兵士たちは、「この野郎ただじゃおかない、殺してやる」と互いに敵意をむき出しにするのだが、自分の家で殺し合いは認めない、という恩ある老人の言葉に従うしかなかった。
国や生い立ちや宗教の異なる男4人の共同生活が始まったのだが・・・・
衝撃的であると同時に、なんともやるせない終盤だった。
深いため息しか出てこない。
作品のHPに載っていたザザ・ウルシャゼ監督のメッセージに尽きる。
「・・・私は映画、芸術が戦争を止めることが出来るとは決して思ってはいません。しかし、もし戦争を決断し、実行する人たちがこの作品を見て、少しでも立ち止まり、考えてくれるならば、この映画、芸術を作った意義があったと考えています」
若い頃は映画青年だったというあの人は、この映画を見ることがあるのだろうか?
傑作。
『後妻業の女』(2016年)
鶴橋康夫:監督
名駅・ミッドランドスクエアシネマ
ようやく大竹しのぶが「スカイツリーや!!」と叫ぶシーンを見ることができた。
大竹しのぶは、よくよく考えると、彼女が10代の頃からを見てることになる。
あの頃はピンク色のほっぺたがつるつるしてた。
彼女は1957年生まれというから、なんと来年は還暦だ。
『みかんの丘』とは違う意味で、深いため息をつくしかなかった。
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