新宿が好きだった。四十年ほど前になる。まだ、コマ劇場があった。そして、その周辺はカオスだった。如何わしさがあり、危険な臭いがしていた。昼間から、コマ劇場の周囲は混沌としていた。健全と不健全が矛盾なく混ざりあっていた。若者とそうでない者も混ざっていた。日本人と外国人も混ざっていた。普通の仕事と反社会的な仕事も混ざっていた。何もかもが混ざりあって、それらは、しかし、絶妙なバランスを保って成り立っていた。
朝まで酔っ払っている人もいれば、朝から酔っ払いはじめる人もいた。ファッショナブルな女もいれば、地味なスーツで知性的な女もいた。光るスーツの男もいれば、安いスーツの男もいた。背中に子犬や熊を背負ったようなジャケットの男もいれば、動物の皮を被ったような女もいた。
黄色い声があるかと思えば低い怒声もあった。
東口の周辺の朝は、アダルトビデオやポルノ映画、エロ雑誌の関係者たちが、いくつかの喫茶店に集まり、撮影に出かける準備をしていた。同じ喫茶店で、デパートやレストランで働く人たちもコーヒーを飲んでいた。
秋の新作商品が、と、そんな打ち合わせの隣で、スカトロNGじゃ困るんだよね、と、そんな声が聞こえた。
撮影に出るエロ関係者たちは午前十一時には消えて行った。残るのはドタキャンされたスタッフたち。慌てて強引に女の子を決めようと何の資格も持たないプロダクションのマネージャーと打ち合わせしたり、女の子の面接をしたりしはじめる。
そんな光景も昼を過ぎるとなくなり、同じ喫茶店が健全になる。地方から新宿を目指して来た人たちが休憩したり、待ち合わせしたりする店になるのだ。
夕方近くなると、今度は水商売と性風俗の人たちが集う。そして、新宿は、その怪しさを深めてネオンを灯すのだった。
そこはドーナツ屋でさえ二十四時間やっている街だった。二十四時間の定食屋まであった。居酒屋でも食事の出来るスナックでもない、定食屋が二十四時間だったのだ。
サウナはいつでも混んでいた。映画館もゲームセンターも、バッティングセンターまで二十四時間なものだから、時間をつぶすのに困ることなどなかった。
欲望の眠らない街だったのだ。だから、新宿が好きだった。新宿で遊び、新宿で働き、新宿に暮らしていた。そして、裏道や裏の店、裏の裏まで熟知していた新宿で、筆者はいつだって迷子だったのだ。
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