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2022年04月28日16:12

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ダラダラとエッセイ、その2

 自慢話を書くことには抵抗があるが、筆者はマスターの称号を持っている。無駄遣いマスターなのだ。
 無駄遣いをかんたんに考えてはいけない。筆者は必要な物を必要以上に買うが、そんなものは無駄遣いとは言えない。車の中にペットボトルのお茶を置いている。運転中に喉が渇くことがあるからだ。しかし、一本では不安なので二本置く。一本目がなくなりそうなときに次を買うチャンスがないかもしれないので三本にしたが、今は、八本入っている。そんなものは普通のことだ。
 マスターの称号を得るためには、必要な物を買うぐらいではだめなのだ。必要というのは精神的なものも含まれる。意味のないフィギュアやぬいぐるみを集める程度で無駄遣いをしたなどという気分になってはいけない。
 本当の無駄遣いとは、日常の役に立たない上に精神的な負担になる物を買うことなのだ。
 たとえば、筆者は履けないパンツを持っている。しかも、そこそこの値段の物を通販で買った物だ。これが派手過ぎて履けないということなら、それは持っているという満足があるので無駄遣いにはならない。精神的負担がないからだ。筆者ほどの無駄遣いになると、買ったことで自分を貶め続けられるようになるのだ。
 まず、通販で大事なのはサイズだ。サイズもチェックせずに買うのは、ただの愚か者の所業で無駄遣いにはならない。サイズをチェックした上で、それが自分には小さいことを確認するのだ。しかし、自分のサイズが売り切れている。その場合は入荷を待つのが普通だが、そこが筆者ぐらいの無駄遣いマスターともなれば違うのだ。このサイズなら少し前には経験している。ようするに痩せればいいのだ。痩せるのは難しくない。昔、何度となく痩せた経験がある。しかし、体重なら五キロ落とすのに何をすればいいか分かるが、これがウエストとなると難しい。ウエストを五センチ縮めるのには体重は何キロ落とせばいいのか分からない。そこでそれについて深く考えているようではいけない。そこは単純に、自分はそのウエストを経験している、と、そう考えるのだ。一度自転車に乗れた人間は何年も自転車に乗っていなくても、最初こそ多少戸惑っても再び乗れるものだと言う。一度経験したウエストになら再びなれるはずなのだ。
 そこで購入し、やっぱり履けないことを確認し、そのウエストにもなれないことを何年もかけて思い知った上に、一度も履いたことのないパンツがタンスで邪魔になるのだ。痩せることの出来ない自分の不甲斐なさに打ちひしがれたりもする。
 しかし、パンツでそれをやるのは、まだまだ。マスターともなると、これを靴でやるしマスクでやる。
 それでも筆者は無駄遣いマスターでしかない。無駄遣いキングともなれば、もっと、もっと、凄いのに違いない。きっとそうした人は、食べ物の好き嫌いをなくすために、嫌いな食べ物が毎月送られてくる通販に十年契約しているのに違いない。今、これを書きながら、それはそれで楽しそうだ、と、筆者は思った。キングになるのも夢ではないかもしれない。
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