廃墟が好きだった。たいていの廃墟は繁栄と消滅の間にあった。それは、繁栄と荒廃とか、幸福と不幸ではないのだ。豊かさと何一つない消滅の間で朽ちようとしていたのだ。その廃墟には幸福の欠片などもあった。しかし、それが不幸になったとか、不幸になって行くというわけではなく、ただ、消えようとしているだけなのだ。
性風俗の取材をしていると、まるで廃墟に迷い込んだような錯覚を抱かされることがあった。輝かしい青春と転落の狭間にある人たちが多かったからだ。
良家の美人として育てられたのに、ささいな恋愛を拗らせて転落しはじめている風俗嬢。高学歴でエリートだった男がその強過ぎるМ性によって転落しようとしていたりもした。性風俗成金が破産に向かっていたりもした。
そこで「崩壊のこちら側」という企画で、転落の一歩手前だと思えることを書いてみるのはどうだろうか。
あるSМクラブのМ嬢は、ホストを恋人だと勘違いして、アングラで過激なスカトロショーのモデルとなった。彼女はインタビューの翌日には業界からいなくなっていた。エリートのエンジニアはトイレ盗撮をはじめた。彼の膨大なコレクションを見せられた。その半年後、彼は捕まり、そのまま二度と連絡はとれなくなった。そのSМクラブは儲かっていた。ママはやり手で、女の子たちにも慕われていた。そんなママは喫茶店で筆者に、ちょっと入院するから、と、言った。肉体ではなく精神の病気だ、と、そう言ったまま、その店はなくなった。
最近の人は、SМを趣味だと思うようだが、ほんの少し前まで、SМは病気だったのだ。暗かったのだ。しかも真っ暗闇ではなく、ほの暗かったのだ。まるで逢魔が時のように。そのことを書いて残しておきたくなったのだ。
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