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2022年04月04日17:11

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午後の迷路にて、その12の2

 新大久保には新宿らしいところがなかった。新宿駅から歩いても、それほど遠くない新大久保、しかし、そこは新宿とは、まったく別の駅だった。性風俗店も新宿のそれとは少し違っていた。新宿が大型風俗店なら新大久保は個人風俗店、と、そんな違いがあった。もちろん、そんなものは筆者の勝手な思いであって、実際には、新宿にも個人的でマニアックな店が数多くあったし、新大久保には、けっこう大型の性風俗店もあった。
 しかし、同じことを、五反田と目黒でも感じていた。そして、池袋と大塚でも……。
 そして、筆者は新大久保が好きだった。プライベートでも、筆者はしばしば新宿に飲みに行くと言いながら新大久保で飲んでいたぐらいなのだ。
 他人のアパートだが、新大久保には数ヵ月ほど暮らしたこともある。
 東京の下町のような商店街があるかと思えば、その隣にラブホテル街があり、コールガールのような懐かしい風情があり、異国情緒があり、明るい活気があり、暗いワイセツがあった。
 新大久保には知り合いの店も多く、取材で訪れる機会も少なくなかった。面白いもので、新大久保で性風俗店をやる人も好きだった。好きなママがいた。気の合うオーナーがいた。好きな風俗嬢がいた。飲み友達になった電話番の男がいた。気の合うニューハーフがいた。
 新大久保の取材で困るのは、取材前後の喫茶店選びだった。入りたい喫茶店が多過ぎたからだ。駅前のチェーンの喫茶店は、何の特徴もないのだが、好きだった。新大久保の改札を眺めていると仕事を忘れてしまうこともあった。少し歩くと高級なコーヒーを飲ませる喫茶店があった。その店は、あまりにも落ち着くので、仕事を忘れて音楽に聴き入ったりした。新宿方向に少し歩くと個人の喫茶店があった。店は狭いが店主自らドリップするコーヒーが好きだった。ラブホテル街を抱える街にしては、夜になっても、新宿ほど如何わしい雰囲気にはならなかった。
 そういえば、駅に特徴がなくなったのは、いつ頃からだったのだろうか。どこの駅にも同じような店があり、どこの駅にも似たような店があるようになった。男と飲むなら新宿、女の子を誘うなら渋谷と、そんな特徴も今はないのだろう。
 そして、新大久保で通っていた飲み屋も、今は、もう、一軒も残っていない。当たり前かもしれない、それはもう、三十年以上も前の話になるのだから。
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