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2022年04月26日16:58

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書けないときにやること、その12

 さて、何をしても書く気力が充実してこないということもある。想像以上に大きなストレスがかかり、集中力が回復出来ないということがあるものなのだ。
 スランプを抜け出すための、あらゆる方策が通じない。
 そんなときには、筆者は、もう、何も考えずに歩くことにしている。ただし、健康のためのウオーキングではない。健康など、どうでもいいのだ。筆者の生きる目的は健康で長生きではなく、悦楽的に書き続けることだからだ。健康のためのウオーキングは、義務教育時代の教科書以上に面白くない。
 筆者は不健康に歩くのだ。
 まず、スタスタとは歩かない。リズムよく歩くのは身体にはいいかもしれないが、筆者の精神にはよくない。ダラダラと歩くのだ。そして、右にフラフラ、左にブラブラとするのだ。目的など決めない。目的地まで歩くなどというのは無粋過ぎる。そうしたことは生真面目な健康オタクがすることなのだ。こちらは不健康オタクなので、目的を決めるようなお洒落さに欠けることはしない。お洒落にダラダラ、ゆっくりと歩くのである。
 興味のあるものを探す。珍しいものなど必要ない。川も滝も海も花も要らない。音楽を聴きながら歩くのは最悪だ。せっかくの退屈を台無しにしてしまうのだから。
 ダラダラ歩いても人は疲れる。いや、ダラダラ歩くほうが疲れたりするものなのだ。疲れたら公園のベンチで缶コーヒーを飲む。缶のお汁粉ということもある。お酒は飲まない。お酒も退屈の敵だからだ。疲労と退屈が、それまで見えていないものを見せてくれる。孤独な老人、空き巣狙い、家に死体のある人、宇宙人や幽霊。窓。ドア。店。車。日常の中で見かけるものに不可思議な意味が出て来るのだ。
 お金はかかるが喫茶店には、なるべく入るようにする。三十分歩いて喫茶店に一時間いたりする。喫茶店でも退屈が妄想を彩ってくれる。不倫カップル、睡眠不足の男、泥棒、詐欺師集団、火星人のスパイ、痴漢常習者、ミニラの集団、筆者だけに見えるドラゴン。
 コーヒーの飲み過ぎで胃が痛くなるが気にしない。公園があれば必ず座る。ベンチがなければ鉄作にでも座る。座ったほうが退屈が楽しくなるからだ。買い物出来る店には入らない。買い物は目的に変わることがあるからだ。何かを買えば、それで満足してしまう。満足は退屈の敵なのだ。
 ダラダラ歩き、ダラダラ休憩し、ダラダラと思考する。
 それでも書けなければ、きっと、疲れて野垂れ死ぬ。それでいい。野垂れ死ぬまではダラダラしていればいい。そうすればダイイングメッセージぐらい書けるかもしれないのだから。
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