【一番最近始めたインスタもメインに捉えていて、そこで読んでくれるのでミュージシャンやアートの未成年者もいるので、その子たちにも分かるような書き方でやっているつもりであり、またこれまでの経過を知らない子たちもいるので、それも含めて、平易で丁寧に書いているつもりの最近である。】
レオスカラックスとギャスパーノエはハーモニーコリンが彼らを友だちと言っていたことで(註1)、なるほど、なにか3人には共通項あるな、という感じで3人のテクストを考察しだしたわけだけれどワンスアポンアタイム、そこでエトランゼやポエジーというキーワードを手前勝手に出して調べだし(3人を考察していて彼らのテクストから自ずと浮かび上がってきた言葉ではある)、ポエジーは詩、エトランゼはそこにいながらにしてそこには属してないストレンジャーな感覚をさす言葉だけれど、それはフランスの詩人ボードレールから引き出してきた言葉なのだけれどボードレールの考察が突き進み、やがてボードレールがエドガー・アラン・ポーを大好き、ポーを海で隔てられた向こうの国アメリカに住みながらも同じ詩想を持つ友人とみなし、ポーは私だ、みたいなストーカー・ヲタクみたいな危ないことも言い出したことを知り興味がわくも、ボードレールとポーを考察すればするほど、本題のコリン、ノエ、カラックスに入っていく前に気分が鬱になってしまい、コリンノエカラックスを投げ出してしまったのであるワンスアポンアタイム。
現在はフランスにぞっこんなので、ハーモニーコリンはとりあえずエポケーしてレオスカラックスとギャスパーノエだけを考察しはじめているわけだけれど、それ関係で(ポーとボードレールも好きだった、というか彼ら自身でもある)ゴシックにも目を向けている。リヴェットとドゥミの石畳のおしゃれな街のパリというよりかは、バーやクラブでにぎわうフランスはバスティーユやピガールはたまたアンダーグラウンドなベルヴィルなセンス、そこにはびこるエトランゼども(註2)にカラックスギャスパーの巴里を思い描くも、ボードレールとポーを考察していたとき入りかけて考察すればするほど鬱になりかけてストップしたけれど、再びゴシックに入り込み、ゴシックって当時的には、啓蒙主義的理性に対抗するイリュージョンや非合理性の称揚であり、それって実のところ人間本質的理性であり、多様性の先取りであり、ブルドーザーで森羅万象を破壊するのではなく想像力でそれを解体再建することなのであり、されど考察にあたり、ウォルポールのオトラント城奇譚にもドールヴィイにも、ましてやラヴクラフトの迷路には入り込まないようにしなければならず(鬱になってしまう)、そもそもテラーもホラーも本イシュー外のことだし(でもよくよく考えれば、そうしたテラーやホラーはカラックスギャスパーにはあるな。それも本質的に。、、のちのち考えよう)、でもって、カラックスギャスパーはゴダールやパゾリーニと違ってコンピューターグラフィックスも使うコンテンポラリーペーポーなので(註3)、ゴシックとフランスとエフェクトを掛け合わしたようなゴシックホラーな2作品を観賞トライする。『ヴィドック』と『ジェヴォーダンの獣』である、どちらもフランス国内でかなりの観客動員数をあげたらしく、世界配給もされそれなりの数字を挙げたらしい。そしてどちらも奇しくも、なにが奇しくか分からんが、実在の人物や事件をモティーフにした作品なのでもある。ゴシックとフランスとエフェクト、奇しくも同じ年である2001に公開されている。きっとフランス映画界でのデジタル映画の勃興期にあたる年だったのだろう。
つづく
註1 コリンはフランスにはよく行く、カラックスとノエなんかの友だちと遊ぶ、みたいなことを言っていた。ノエとコリンはYouTubeにもあるけれど、ナッショビルだったかな、そこをふたりで巡る、みたいな動画があるし、カラックスはコリンの作品『ミスターロンリー』に出演していたりするし、で彼らの交友関係がそれらから垣間見られるけれども、カラックスとノエが肩を組んでいるフォトもふたりがプリクラでほっぺたを突き合わせてピースをしている写真もふたりで仲良くティックトックで踊っている映像も見たことがないので、コリンがパリを訪れたとき3人で呑みに行っているのかどうかは不明。
註2 観光客という意味ではない。精神的にアウトサイダーな天邪鬼、それがエトランゼなのだろう。ボードレールが確か、天邪鬼を使っていた。
註3 ゴダールはファーストモーション、ジャンプカット、中期ではスローモーション、とカメラ内テク、ポスプロ編集テクがメインだと思うけれど、パゾリーニは飛び交うウンコや宙に浮かぶ家政婦などで当時先端技術のエフェクトを取り入れてはいたと思われる。
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