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2025年11月06日20:06

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未来の想い出 Last Christmas 覚え書き


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☆『未来の想い出 Last Christmas』(森田芳光  1992) 覚え書き
 *購入したので観る。そろばんずくではなく、藤子不二雄の原作を実写化した本作品にした。今回が2度目の観賞。
 *初見でも書いたと思うが振ってくるあの青いキューブ、ひょっとしてデヴィッドリンチは観ていてマルホランドドライヴに引用したでないかとお思えてくる。
 *淡々とした流れの時間軸のなかでの出会いや別れの絡み合いは後の『(ハル)』への伏線、というか、ここで培い後に丹念化してゆくことになる構成なのかな、となる。
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 *工藤静香は笑うセールスマンのようないでたちの易者として登場するけれど、この藤子不二雄原作の実写化、彼女はセールスマンやどらえもんの如くな、のび太な清水美沙を助けるお助けマンとして登場する。後にはデビット伊東も助けるから合点がいく。藤子不二雄の傾向としてお助けマンは常になんらかの形で表されるのかな。

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 *本作品での清水美沙、とても魅力的である。
 *それぞれがふたりだけでチョメチョメする秘めごと始まるまでの振りが長いな、となるも、そーいえば、そうした百合関係にはならないな、と、なぜ知ってるのだろう、この主人公たちと同じように未来を知っているのか俺、となるも、よくよく考えてみれば、2度目の観賞ゆえに知っているのは当たり前である。主人公それぞれは男性と恋をする。相手はラーメン屋を始める前のデビット以東と大河ドラマに主演したりお母さんと世間を騒がせる前の和泉元彌である。なぜ俺は彼らの未来を知っているのか?映画は時には、今此処で未来と過去を知らしめてくれる。それが映画の頼もしさ、そして本作の在り方もそうした今此処を現前せしめる作品としてある。
 *未来を知ること(或いは、知っていくこと(これは誰にしも可能である。意志を持ち前に進むことで自身の在り方は知りえてくる。ボーフラのように生きていたらなにも見えてこない))、それは期待と不安のせめぎ合いが常に今此処にあること。生きているという自覚。
 *バブル期らしく、ワム、フリオイグレシアス、レッツグルーヴが鳴る。漫画のヤワラや美味しん坊、ファッツマイケルもまたシティ感覚の新しい漫画だったのだろうか。表層性ゆたかでドライな感覚の森田もまたシティ派と言われるが、当時勃興したばかりのMTV感覚で表層ゆたかに映像あらわしているが、時代感覚でややカラオケのドラマ映像風にあり、ダサさもあるところが森田らしさでもあるのかもしれない(バブリーなシティ感覚の醍醐味はホイチョイ・プロダクションズに譲るとして)。
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 *タナトスが全編に漂い、それはやがて生の欲動の高揚により希望へと化わる。冒頭の小学校をよぎる飛行機の影を子供たちが希望する夢が払いのけることできるのか、そうしたエスタブリッシュ・シークエンスであるが、期待と不安と葛藤が本編に漂っているのである。タナトスはその後の『(ハル)』『失楽園』『39』『黒い家』『模倣犯』とずっと描かれ続ける。この時期の森田の傾向か。いや、『家族ゲーム』にもノワールなシャドウは出ていたし、『ときめきに死す』はまんまそうだったし、えーとそれから『それから』もそうだったしで、ポジティヴ野郎に見える森田、実は常に不安との葛藤を描いていたのかもしれない。そして誰だって大なり小なり、期待と不安と葛藤に生きているのである。
 *女性という当時的にはまだ弱者に位置するヒトをメインにして、そのふたりの友情のなか男性の脆さや母性を解き放ち描き、ただ繰り返しのループ(という日常やまだ男性中心な世界)を回避し、未来を切り拓く愛への到達をもって幕を閉じる。






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