こちらはレンタル。くりいむレモン、おもしろかった。ヤマノブの作品はほとんど観ているけれどこちらは初見。ゲームやアニメなどとして展開される美少女エロものなのは聴いたことあるけれど、近親相姦愛好のシスコンではないのであまり関心なし、で観なかったのだけれど、ダメ男三部作とリンダリンダリンダの間にある本作、女性を描く起点になったと思われるので最近気になってはいる、となり観る。
ふむふむ、パパとママのそれぞれの連れ子なのか、ならば性交渉、倫理的に問題なし、、ノープロブレム、モーマンタイ!、、とはかぎらない。同じ屋根の下住んでいて一緒に育っていてメラメラハートになるかな、と思ってしまうのである。も、主人公おふたりの問題なので外野席からとやかく言ってもしょうがない。と思っているのもつかの間、観始めると、冒頭からの亜美のクロースショットから可愛いな、となり、作品に入り込む。
ヤマノブのシネフィルぶりがガンガンあるな、本作品。冒頭の亜美のショット、なにかマリアシュナイダーも感じらるものあるけど、やがて後々、ラストタンゴインパリスのあのシーンを彷彿とさせるショットも出てくるし、ふたりの逃避行はテレンスマリックはバッドランドを筆頭にあまたある映画作品で描かれるものだし、ふたりの関係性が神聖なるものになり説話的になるのはパゾリーニ的だし(ちょっとこれはこじつけめいてるけど)、ラストのすれ違いはストレンジャーザンパラダイスしてるー。
女性を美しく撮ること、淡い感じのなかで、はヤマノブの盟友近藤龍人がここで実践しリンダに繋げていったのか、いや、リアリズムの宿の尾野真千子もとても清々しく美しく顕されていたっけ。近藤龍人はすでに前作からそれを惹き出している。主人公ふたりのやりとり、ヤマノブここでもテンションを生み出す。長回しのなかテンションは持続される。ハラハラドキドキなセンスであったり、ウルウルシュッボーンだったり、メラメラウッフンだったり、と淡い雰囲気のなか喜怒哀楽は弛緩されながら現れる。ふたりのエモはイコールに表されながらも、やはり映画作家の男性視線が少し強いのかな、男子の気持ちの描写がいくぶん強い。エスタブリッシュショットの亜美の顔、それは対象としてのそれであり目的目標でもあるようであり、それはあるのだろう。でも同時に亜美のクロースショット、女子の揺れ動くココロをエスタブリッシュもしている。女性のエモもまた弛緩のなか淡くときめく。
ヤマノブのもうひとりの盟友向井康介もまた本作で女性を描くことで次作のリンダにもそのみずみずしさを届けたのだろう。主人公ふたりはまだ幼い。でも男子のムラムラ悶々のポーキーズでもなく、女子のトキメキうふふんのチアリーダーズでもなく、そんなあまたある青春映画像に捉われることなく、そんなアメリカが押し付ける一億人総ハクチ化をはねのけ、日本人らしいエモの流れをそこに表すのである。互いにリスペクトするココロを心的にだけであらずにフィジカルにも顕す。その淡い輝き、ふたりの互いに想う愛おしさが映像に浮かび上がってくる。
ふたりはとうとう一線を越える。サプライズ!、、ではない。そうしなければドラマは進まない。そんなカンケイになっちゃったおふたりさんであるが、パパとママがお出かけの間にそうなっちゃっても、帰ってきても、ボクたちワタシたちこうなっちゃいました、血はつながっていません、なにか?と開き直ればいいのではとは思うのだけれど、そうなるとドラマは進まないのでもある。背徳感があってのドラマの高揚感である。罪を背負うからドラマはゴーインオンなのである。
ふたりはクルマで逃避行。旅の途中、罪を犯したヒトの顛末をお寺さんで聴き、心が苛まれるふたり。ふたりの逃避行の旅はヤマノブのいつもの浮遊感を感じさせるものではなく、主人公たちに融即する我々オーディエンスにもまた現実を突きつけるストラクチャーがなされている。ラストはジャームッシュ的な終わらせ方である。全体的には、ヤマノブの死生観もまたクドカンのそれと同じように、豊饒な仏教観にあるように思える。生死一如なところはクドカンもあるけど、やはり日本人的DNAかな。とはいってもこのふたりはそれがこれ見よがしに強く表されてはいないけれど、うっすら分かる感じだけれど、それがいつもあるな、となる。本作品はリアリズムの宿ほど仏教観は出ていないけれど、逃避行のところではうっすらながらも出ている感じはする。本作品は性を扱いながらもギトギトしたものではなく、のちのリンダや天然コケッコーにも通じる透明感が表されている貴重な経過作に思えるものある。
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