クドカンがホン書いてるから観る。こちらはレンタル。本作品はレンタルおじさんなる者が出てくる。ドラマ版のときからのレギュラーのようである。ドラマは未見で映画だけ。おもしろかった。1秒先の彼でのインタビューだったかな、ヤマノブもこれのテレビドラマ版がおもしろかったと言っていたな。でも、12話全部を観るのはちょいとシンドイ。ドラマ版のあらすじはウィキに載っていて、人物たちの関係性も把握し、放送終了後のスペシャルドラマもあらすじがネットのどこかに載っていたものだからそれも読み、本作品に臨む。けっこう笑えた、となる。
K-POPからLGBTQ+はたまたハロウィーンからダイヴァーシティ、と現在の潮流が一目で分かる便利な本作品。適材適所なキャストでもある。岡田将生はバラエティとかに出ているとき間(マ)の取り方がナチュラルに上手いなと思っていたのだけれどドライヴマイカーのときの真摯さと違って本作においてリーマンの悲哀や実直さをおもしろおかしく出せること唸らせる。松坂桃李は今泉力哉はあの頃。のときのように気まじめにしてどん臭さを好演であるが、このヒトはノワールな雰囲気の作品あるいはノワールな役の方が個性が出るな。柳楽優弥はやっぱ上手いな。以前は彼は日本のロンチャイニーになるのかなと思ったけれど、今回は彼はデニーロだと思わせる。自身に役柄を引き込み自然にそれを表現する。形から入るでなくもはや内面そのものがキャラになり果てそれを自身に引き寄せている。凄いな。酒造りの職人すなわち杜氏役のヒト、存在感あるな、酒と涙と男と女を掛けて河島英五が出演しているのかと思った、けど、もう亡くなってるのではないか、となるも、あとで調べると舞台を中心に活躍されている方、クドカン繋がりなのかな。佐津川愛美は鈍獣のときと同じようにぶっ壊れている。真面目な役が多かった彼女であるがなぜにイメチェンか。いっぽう吉岡里帆は吉岡里帆していて島崎遥香は島崎遥香している。安藤サクラも彼女らしい役を表現している。も、こうした日常おばちゃん観を出すのは石井ふく子ドラマがもはやない現在において稀有な存在として希少かもしれない。生活感が出ている。でもなにより驚かされたのは、木南晴夏である。怪優への成長である。最初はユンソナみたいなコリアン・アクトレスだな、と思って観ていて、でも彼女にも見えていたけどきっと違うんだろうな、個性の出し方が強いものな、となるも、やはり木南と分かり、その役作りやはり凄いものである、となる。
役者のアクトの個性も賑やかだけれど、クドカン節ももちろんどんちゃん騒ぎである。ヤマノブの余白に感じさせるセンスと違いクドカンはドンパチてんやわんやの賑やかさ、その情報量の凄さは大江戸べらんめえ調でSoQoooooooooool。これ観て考えると、ふたりがタッグを組んだ1秒先の彼、ドンパチパッチンな賑やかさと余白が生む余韻がうまくドッキングし、そしてふたりとも現在の視点における日本の日常を表すことを主眼にしており、そうした意味でも素敵な逸品であったこととても納得となる。
本作品は水田伸生が演出。クドカン脚本でアベサダ主演の舞妓Haaaan!!!(2007年)、なくもんか(2009年)、謝罪の王様(2013年)を監督。本作品テレビドラマ版でもほとんどのエピソードを演出。水田伸生はウィキによると、明石家さんま主演の90年代ドラマで頭角を表したとのこと。明石家さんま主演のドラマはまずコンプライアンス時代では考えられない二股オトコであり、時代が許したのだろうか。でも当時でも唐沢寿明でも江口洋介でも織田裕二でもそしてキムタクですらもそうした役を演じることはタブーだったのではないかと思われるので、せいぜいさんま、もしくは石田純一か安藤サクラのパパぐらいしか当時でもできなかったであろう。時代的に許されたのでも、たぶんコメディ調(コメディ調だから二股男もヤンワリとなり許される感じになるのだろうか)だからだったからであろうか。それはさんまドラマに関してであるが、とにもかくにもコメディ演出できるとは間(マ)の切り取りがうまいということであろう、確かに本作それである。笑えるし丸くおさめることできるし、水田伸生そしてクドカンの力量は大衆性に合う。さすが小劇場のスター、YOっ!クドカン屋!
それにしてもクドカンの死生観、最終盤の仏壇からの家族へのまなざしはなにか、あの世からご先祖様がオオやってるな我が家族、という安堵な目線をもたらすものかのように感じらるけれど、真夜中の弥次さん喜多さんもTOO YOUNG TO DIE! 若くして死ぬも三途の川を渡り切れない者たちが表されたり、中学生円山の主人公草なぎはまさに黄泉がえりのようなキャラだったしで、それはこの世に執着しているものが描かれている、というよりも、あの世とこの世が地続きで繋がってるという、平和的で心豊かなセンスにある仏教観があるように思えるのである。それは日本ならではのDNAがもたらしているものなのであろう。そして、そんな仏教観は多くの邦画作品が持ち合わせているわけではないけれど、クドカンとヤマノブにはなにかそうしたものがオフビートのコメディの底に通底しているもの有りと思える。
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