こちらはレンタル、クドカンによるガロ系漫画が原作の映像化。真夜中の弥次さん喜多さん、おもしろかった。以前観たときよりもおもしろかったように思う。みうらじゅんマイブームと同様にクドカン・マイブームなので贔屓めなのかもしれない。
四半世紀前を憧憬する現在のY2Kブーム。だけれど、あの頃そんなにキラキラで元気だったのかな、となる。あの頃はロスジェネは続いており、むしろ現在の方が就職氷河期は脱したり仕事も多様性に富みいろんな意味で状況的に元気なのではないか、でも元気がゆえに知らない時代に対する憧憬が煩悩的にムクムクとなるのがあるのかもだし、たしかにキマジメ★コンプラよりもキラキラ☆プリクラ、パーフェクトブルーよりもエンジェルブルー、と四角四面にスクエアな真面目なものから脱しカワイイに向かいたいところだろうし、あの時代はあゆやギャルサー、アムロやアムラーがいた頃、グランジやラップが台頭していたころ、モー娘。が日本の未来は世界がうらやむ恋をしようじゃないか、と謳っていたころ、憧れの渦巻きである。
それゆえか、本作を観ると、おクスリ常習者である喜多さんの幻覚症状がヘンな世界観を生み出していると見るよりも、イマも続くキラキラな幻想を、、というより幻想ではちっともないキラキラなリアルが見え聞こえる視覚聴覚や脳内世界が四半世紀続いているのではないかな、ゲームと漫画とアニメと街中のキラキラが頭んなかざわめきバズるコンテンポラリーピーポーの現実が表されているにちがいない。キラキラはそこに在り、そして今も在る。
ミッフィーやキティやキラキラ、、鬼畜米が戦後に施した一億人総ハクチ化がここまで達成されるとは鬼畜米ですらも思ってなかっただろうしもう処置なしである。とはいえ、それもひとつの生き方であり、それはそれで愉しなのである。ジャポンなにもパーフェクトなパープリンなるハクチと化したわけではなく、戯れとしての洒落は遥か彼方昔からあるものだしそれはユーモアだけではなく、現在のkawaiiやもふもふに繋がるものであろうし、洒落はかぶくと交わり毒を吐くまではなくともブラックなジョークにもなろうし、クドカンは外連味もってそれを上手く料理している、そんな感じに堪能。
外連味それこそがクドカンの重要なキーワードだろう。されどそこには、ヒトのエモは確かにつむがれえがかれる。
スピードもって巻き込むアーヴァンガールドな作風に理解もって入り込むことできないことも多々あるもののトータル的には愉しめる本作品。頭んなかキラキラブームの忍法妖変化。原作漫画を読んだことがないので映画化への批判精神もないまま弥次喜多のトラヴェルトラブル膝栗毛にいざなわれる。イージーライダー風の疾走感の旅冒頭の方はあざとくあまり入り込めなかったものの、クドカンものにおける長瀬がよくやる、振り返って一瞬マをおいてワッと驚く所作、それに、大名行列に重なる幻覚症状など、だんだん笑いながらクドカンワールドに見入りだす。銀魂観たときさ、福田雄一ワールドだなこれ、と思ったら、あとで皆からあれはまんま銀魂だと言われたので、本作品がクドカン世界なのか原作を忠実に映像化ししりあがり寿世界の再現なのかよく分からないが、少なくとも、コンテンポラリーピーポーの頭んなかはY2Kを憧れるキラキラブーム、日本の四半世紀が走馬灯のように疾走する。あのJK軍団が目立ってそれ成しているし、近松浄瑠璃歌舞伎に表されるようなヤジの意固地に比して現代人のようなキタの軽さや道具方長谷川勘兵衛の大仕掛けに似ながらも非なるキラキラ大仕掛けや現代を反映させる古田新太を筆頭とした小劇場風情やぐっさんを筆頭としたよしもと風情がコンテンポラリーを形作る。K-POPパチパチキャンディのように刺激的にハジけ、夢想にして無双にエモくエグくバズってなんでも2文字で処理されるスピード(クドカンも最近は俗称を短くクンに改名しているらしい)のように、ルフィやトルコアイスのようにビロ〜〜〜〜〜ンと伸びる手が掴もうとする永遠に終わらない此岸へのジャーニー。
されど、パロディとキッチュとキスキスバンバンは江戸文化から脈々と語り継がれるもの、江戸の心意気は枯れることはない。冒頭に騒ぎになり終盤は主人公ふたりが乗るエレファント(冒頭のエレファントを語る一連の流れはある意味、本作品をエスタブリッシュさせるもの)は見たことない壮大な夢を表し誇大妄想的なジャポニーズの想像力を言い当て、主人公ふたりの恋路に生まれる執着と解脱は、西洋の贖罪と救済とは全く別もの東洋ならではな嗜好なるもの、粋だね、詫びさびだね、喰いねー喰いねー、寿司にはぜったいワサビだね、そんな江戸文化が、一億人総ハクチ化という西洋化も施され、されどそれは開き直りではなく主体的な遊び心なのである、そう、コンテンポラリーペーポーはキラキラに生きる。
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