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2025年04月06日07:29

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【特別編】マイティ井上さん追悼(73)

85年12月15日後楽園ホール(観衆3,400人超満員発表)でジャパンプロレス設立2周年記念興行が開催されました。私はこの興行は観に行っています。

全日本プロレスのリングには契約の関係でまだ上がれないスーパー・ストロング・マシン、ヒロ斉藤、高野俊二のカルガリー・ハリケーンズが参戦。全日本プロレスからも中堅選手が参戦していますが、外国人選手、国際血盟軍の参戦はなし。

ジャパン対ハリケーンズのトップ同士による3大シングルマッチが組まれています。ハリケーンズは11月のジャパン自主興行シリーズ「ニューウェーブ・イン・ジャパン」以来の試合出場となりました。

この興行にはマイティ井上も出場し、セミ前の一つ前、第5試合大熊元司と組んでジャパンプロレスの寺西勇&永源遙組と対戦、10分40秒、大熊が首固めで永源を降し、全日本軍の勝利となりました。

メインイベントでは長州力と8月5日、大阪城ホールで長州に対戦要求を行ったマシンがシングルマッチで激突。(60分1本勝負)両者は長州らジャパンプロレス勢が新日本プロレスを抜ける最後の84年「ブラディ・ファイト・シリーズ」で1シリーズだけ一緒になっていますが対戦はなし。

試合は長州がマシンにサソリ固め。マシンはこれを自力で匍匐前進してロープエスケープ。しかしこれを長州がブレイクせずにリング中央に強引に引き戻して絞め続けました。

マシンはそれでもロープににじりより手をかけましたが長州はまたもサソリを離さずリング中央ヘ。同じ動きを計4回行った長州に対し、マシンのセコンドについていたH斉藤と高野俊が「ブレイクだろっ!」とレフェリーに抗議も受け入れられず。

怒ったH斉藤と高野俊がリングに上がり、長州に暴行。16分48秒、長州の反則勝ちとなりました。

セミファイナルはジュニア頂上決戦、小林邦昭vsH斉藤の一騎討ち(45分1本勝負)。8月7日、後楽園ホールでH斉藤が試合後の小林邦を挑発、一触即発の雰囲気になってから4か月でのシングルマッチとなりました。

ジャパン勢大量離脱の後の84年10月「闘魂シリーズ」にカルガリーから凱旋帰国しているH斉藤は「虎ハンター」として大ブレイクしていた小林邦とはすれ違い。

小林邦が得意のソバットを見せ、H斉藤は場外へ転落。これを見た小林邦がロープヘ飛んで、場外のH斉藤めがけてトペを放っていきましたがH斉藤はこれをかわし、小林邦は自爆。すかさず場外でジャーマン・スープレックスを決めたH斉藤がリングに上がり、11分47秒、H斉藤がリングアウト勝ち。 

初戦はH斉藤の勝利となりましたが両者はこの後全日本プロレスのリングでは世界ジュニア・ヘビー級王座、新日本プロレスに戻ってからはIWGPジュニア・ヘビー級王座を賭けて長い期間ライバルとして抗争を展開することになります。

セミ前に組まれたのは谷津嘉章と高野俊の新シングルマッチ(30分1本勝負)。こちらは地力で優る谷津が10分47秒、ブルドッキング・ヘッドロック2連発からのダイビング・エルボードロップで片エビ固めに決め、谷津の完勝となりました。

保永昇男vs渕正信のシングルマッチは13分51秒、両者リングアウトの引き分け

栗栖正伸とハル薗田のシングルマッチは8分29秒、逆さ押さえ込みで薗田のフォール勝ち。

ジャパン同士の新倉史裕と仲野信市のシングルマッチは18分15秒、仲野が首固めで勝ちました。仲野は新日本プロレスでは79年3月にデビューしていますが、83年1月に退団、佐川急便に就職しドライバーをしていました。しかし、リングへの思いを捨て切ることは出来ず、84年3月に再デビュー。81年1月デビューの新倉より後輩になっていましたが先輩超えを果たした訳です。

第1試合のジャパン対全日本、笹崎伸司と百田光雄のシングルマッチは5分13秒、光雄がバックドロップからの体固めで若手の笹崎を退けています。

ジャパンプロレスの設立2周年記念興行が行われた同じ85年12月15日日曜日の昼からは大田区の池上本門寺において力道山23回忌追善の法要が行われました。

「力道山直系の保守本流」を自認する馬場の全日本プロレスからは馬場、鶴田、天龍源一郎、タイガーマスクを初め力道山の指導を受けた大熊、グレート小鹿、ジョー樋口レフェリー、百田家側として敬子未亡人、力道山の実子である百田義浩、百田光雄らが多数出席。

新日本プロレスからは力道山門下生にあたる猪木と星野勘太郎が出席しています。

一連の引き抜き抗争以来、馬場と猪木が公の場で同席、BIはマスコミの要望に応え、力道山の墓を挟んでツーショット撮影に応じました。私は2019年9月1日新宿・百人町にあったネイキッド・ロフト(現在は横浜駅南口の相鉄ムービルに移転)で行われた元週刊ゴング編集長、ドクトル・ルチャこと清水勉氏主催のイベントでこの法要の秘蔵映像を見ることが出来ました。

印象に残っているのが猪木が「敵陣」にも関わらず終始笑顔で周りに接し、お焼香の際も馬場にさりげなく順番を譲る気配りを見せていたという社交性の素晴らしさを発揮していたことでした。

この席上で顔を合わせた馬場と猪木は「選手引き抜きに関わる防止協定」について話し合いを持ち、これ以上の選手の引き抜きは行わず、ファイトマネーの高騰を防ぐことで一致。後日12月19日に両者から引き抜き防止に関する書面を作成し、選手リストが交換されています。

また、8月に新日本プロレスを離脱しジャパンプロレスのリングに上がっていたスーパー・ストロング・マシン、ヒロ斉藤、高野俊二のカルガリー・ハリケーンズの3人については新日本プロレスとテレビ朝日の契約満了となる翌86年3月31日迄は全日本プロレスのリングには上がれないことが改めて確認されています。

引き抜き防止リストの中には長州力以下ジャパンプロレス勢の名前も入っていました。

85年の東京スポーツ新聞社制定による「プロレス大賞」が選定され、年間最高試合賞(ベストバウト)には11月4日ジャパンプロレス大阪城ホール大会の長州vs鶴田戦が選ばれています。長州は3年連続のベストバウト受賞(83年は4月3日新日本プロレス蔵前国技館でのvs藤波辰巳とのWWFインターナショナル・ヘビー級選手権試合、84年は8月2日蔵前でのvs猪木戦)となりました。

また、年間最優秀タッグチーム賞はインターナショナル・タッグ王座を1年間守り抜いた鶴田&天龍の鶴龍コンビが新日本プロレスのIWGPタッグ・リーグ戦優勝チームである藤波&木村健吾組を抑え受賞、鶴田はダブル受賞に輝きました。最優秀選手賞(年間MVP)は藤波が獲得しています。

殊勲・敢闘・技能の三賞のうち全日本プロレスのタイガーマスクが敢闘賞を受賞。負傷欠場もありましたがNWAインターナショナル・ジュニア・ヘビー級王座獲得が受賞の決め手になっています。

年末の12月29日(現地時間)ニュージャージー州イースト・ルーサーフォード・メドーランズ地区ブレンダン・バーン・アリーナにて全日本プロレスの「世界最強タッグ決定リーグ戦」にテッド・デビアスとのコンビで優勝したスタン・ハンセンがリック・マーテルの保持するAWA世界ヘビー級王座に挑戦。

14分1秒、コーナーマットに頭を着けた状態で絞め上げる逆エビ固めでマーテルをギブアップさせ、AWA世界ヘビー級王者となっています。

井上にとっての85年は6月8日に香川県高松市民文化センターでダイナマイト・キッドに敗れNWAインターナショナル・ジュニア・ヘビー級王座から転落、10月31日山形県鶴岡市体育館で石川敬士と組んでジャパンプロレスの寺西&保永組を破りアジア・タッグ王座に返り咲きを果たしましたが、ジャパンとの対抗戦の陰に埋没してしまった1年でもありました。

 
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