斬、おしろかった。池松壮亮特集をしているわけではない(池松壮亮はもちろん素晴らしいアクターである)。去年のあれこれのベストテンのページを見てて、パーフェクトデイズは観たし怪物は観たし福田村事件は観たし、となり、あと観たいのは、せかいのおきく、花腐し、ほかげ、かな、と思うも、ほかげがTSUTAYAで取り扱いないので、なら塚本晋也なら、と斬、をとなる。せかいのおきくも本作品も90分もみたない、いい感じのバランス、とレンタル。塚本晋也で好きなのは、六月の蛇、、Hだからである。塚本晋也でイヤなのは、コトコ、、コワいからである。されど、彼の映像にはハンドヘルドと(ジャンプカットというよりは)矢継ぎ早のショット群により、眼をつぶったときに見えていないものが感覚的に現前、乃至、眼を開けていてもその瞬間に見逃しているものの現前、というセンスが表される。そうしたスリルとエモーションに満ちている。もちろん本作において、見せないことにより観せる、という表現は成される。けれど、それも含め、我々が見なずして感じるものとはなにか、それは「鬼」である(たぶん塚本テクストにおいてそれはどの作品においても在るのではないか)。穏やかながらもケモノのような池松の裏の顔にあるもの(それが本当に開花されるのは獣道を進む彼の視点ショットに表される)。眼をカッと見開いて喋る蒼井優のその顔と気持ちに、達人塚本澤村にも野武士中村達也にも。感情は鬼になりうる。それへの通過儀礼なのが本作か。それにしてもあの葛藤、池松は剣術は優れていてもこれまで人を誰も斬ったことがないのかな、、そんなことはないだろう、蒼井優の弟に今のままでは京都に行かない方がいいとさとすから(あれは村に残ってお姉さんや家族を助けてやりなさい、というヒューマニズムでもないだろうし塚本がそんな優しい言葉をかけることは考えられない)。それでは何故にいきなり斬ることを拒むのか。愛がまんべんなく描かれている。池松の指を舐める蒼井や彼女の首を絞める池松や、彼に行っては欲しくない蒼井の感情やらあれこれ、満ちている。愛が彼に生まれたからであろう。だからこれはラヴストーリーでもあるのだ。山での追いかけにはある意味、三角関係が表される。別々の意味で池松に惚れた塚本と蒼井が彼を追う。愛を選ぶか鬼を選ぶかがこのラヴロマンスに表されてもいるのだ。ヒトとはなにか? 塚本晋也が選ぶのは一目瞭然である。
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