デューン/砂の惑星おもしろかった。ドゥニヴィルヌーヴ版をもう全く覚えていないのだけれど、そちらの方にも、皇帝ですらもうまくコントロールするギルドのなんとかとか出ていたっけ?とかなりつつ、いまだによく分からないけれど何故に皇帝の娘が皇帝の付き添いとしてラストにちょっと顔出し程度にしか登場しないのに冒頭、スターウォーズのスクリーン下からせせり出てくるテロップの代わりかのように大顔で本作の世界観を説明するのだろうか?と疑問を持ったり、でもヴィルヌーヴ版で彼女の重要性をようやく悟ったり、とかなんとかしながら観進めると、ラフカットでは長時間だったものを2時間ちょっとの長さのものに短くしたものとはいえ、変なダイジェスト版って感じではなく、あらすじのショートカットはオーヴァーラップの中でされるナレーションでされるのだけれど、時間を前後ずらす感覚をもたせたり、と、おもしろいストラクチャーであるな、となる。主人公がフレメンの信頼を得るまでがしっかり描かれているヴィルヌーヴ版と比すれば、こちらはご都合主義的にあっという間に信頼を得ているが(てか、もう出会った瞬間に認められている)それが不都合な事実に感じるも、ニッケルオデオン的活劇とみれば、短く簡潔な語りであるがゆえ断崖を落ちるところのスペクタクル性が活きてくるのだろう、となる。色彩や明かりのムードはエイティーズな感覚であり、ギリアムは12モンキーズやスコットはブレイドランナーやエイドリアンラインなラインをこの時代ならではに表している。ダークななかに蠢き輝くような、なにかバブリーな感覚。クラブにいるようなセンスである。王家たちの醜いドロドロ争いだからだろうか、或いはカイルが出ているからだろうか、人物たちが交錯し、なんだかソープオペラな感じである。もっともそれは、ツインピークス寄りなものではあるが。テレビ感覚的に、主人公の運命は如何に!?となる。イレイザーヘッド的なものも、男爵のフェティズムや主人公の父親が見る幻想めいたもののなかに表されていたりする。シャイニーに輝く貴公子を描きながらも、変態性は継続されている。カイルのイノセンスは保たれながら、次回作では変態性と無垢がもっとリンチらしい感じで融合する。ブルーベルヴェット以降のリンチらしさは、イレイザーヘッドがあってからこそ、というよりも、エレファントマンとデューンがあってからこそ、というものなのかもしれない。
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