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2024年10月04日12:23

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お気に入り作品を観る 27 (ゴダールパゾリーニ篇)


アラビアンナイトおもしろかった。購入したので観る。ドゴール圧政がだっせいと終わりを告げた仏蘭西に比しセヴンティーズ、キリスト教右派とテロリズム左派がいまだ蠢く血塗られた混沌の伊太利亜。愛は求められる。暗い因習の打破は求められる。
 パゾリーニの千一夜物語では運命が語られる。フロイトもラカンも、ユングも深層心理も驚くあまりに眼があんぐりに呆れ顔かのような、原始的、そう、運命なんてありえない。運命に導かれる人々の物語り。
 生の三部作のラストにして先の2作品のエログロ度に比すれば、真摯な愛を純粋に顕し語らしおん。そして翌年のソドムの市とコントラストし、陰陽たるコインの表裏一体的な(性)愛に充ちらしおん。笑みと笑いが絶えない。子供たちの嘲笑いもあるけれど、場を幸福へと変えること終始に変わることなし。ヌーレッディンがラストに語るように、苦みに始まれど甘みへと変わる出来事は常に有る。出来事は愛のタペストリー。つがいが常にそこに在る。この運命の物語にはそれらが表される。

 芸術的価値観からだろうか、男のニョロニョロがモザイク無しに表される。ときどきボカシになるが出していいのと出してはダメなのはどうした違いによるものなのだろうか。

 最初のシークエンスに表されるのは貧困街のようなアラブの街だけれど、パゾリーニにとってはそこは資本主義にとり残された場所というよりも、そうしたキャピタルとは無縁な庶民の街という幸福に満ちた場所なのだろう。市井には笑みと笑いが絶えない。
 すれちがいの恋がたびたび表される。とは言っても、ヌーレッディンら男たちの間抜けな素行が原因によってなのだけれど。男たちは伝書鳩のように女たちの言葉を移動させるけれど、その言葉に秘められている「愛」を理解できずにいる。セックスするときは絶えることない笑みだけれど、愛を理解できずにいる男たちはメソメソをたえずひきずりもしている。

自由間接法: 主体の視点があちこちに移動。物語に没入する主体がここには表されるのだろう。物語とは、あるいは、物語り物語られるとはそういうことなのだろう。伝えること、あるいは伝承ということにパゾリーニは生の三部作や奇跡の丘、アポロンの地獄、王女メディア、どころか、テオレマやソドムの市、総てにおいて関心がいっていることなのだろう。

あらすじ的には: ヌーレッディンとズームルッド → オトコ好きのじいさんとオンナ好きの女が引き連れる幸福な集団 → ズームルッドが誘拐される。 女が彼女を探し出し、お返しとしてヌーレッディンとセックス。 →  ズームルッドは盗賊にまたもや誘拐。 → ズームルッドはまんまと抜け出し王になり、傲慢さあらわす男たちを死刑とする。 → 籠の中で寝るヌーレッディン、そして女たちから引き入れられまたもやセックス。 → 恋人想いの優しいフィアンセを自殺へと追い込み、三人目の恋人と子供をつくり、二番目の恋人にオチンチンひきちぎられるアズィーズは最終的にフィアンセの愛を知る、というアズィーズの聴いておくれと話す過去。 → アズィーズはすぐに卒倒してしまう王子とともに姫に会いに出掛ける。→ 愛の装飾術を壁に織るふたりの王子の話。愛を誓えど自身の無情に嘆く王子たちはあるがままを選び、愛を織り成す装飾を織る。すぐに卒倒してしまう王子は卒倒することなく姫と愛を誓える。 → ヌーレッディンはエロスの香りに刹那の幸福に酔うも、また泣きじゃくりズームルッドを探す。 → 原野の百獣の王は運命の導き手に如くにヌーレッディンをいざなう。 → ヌーレッディンとズームルッドの運命の再会。


パゾリーニの千一夜物語では運命が語られる。運命に導かれる物語り、それは人間の意識がもたらすもの。確かなもの。口承、紙上、そして映画の物語られとして物語れ語らしおん。それは夢に有るロマン、ヒトが生み出す噓なきモノそれ自体。ヒトがある。ユメがある。ロマンがある。戯言ではない。愛がそこには生まれている。






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