肉体の門、購入したので観る。おもしろかった。骨までしゃぶるは初見であるが、こちらはレンタル版がずいぶん前からあるので何度か観ている。理性が人間性を創る、といった啓蒙主義的メッセがある骨までしゃぶるに比しこちら本作は、プリミティフの魅力。これまで観たのでの印象は日本版シルヴァーナマンガーノ(パゾリーニヴィスコンティ時代ではなく苦いコメなどネオレアリスモのヴォルケーノ・ボディの時代)である野川由美子のせいかな、ギラギラした太陽、いや、アトミックボムのような危険なギンギラギラギラであるが今回、オープニングクレディットにおける描かれた屍のような身体、原爆投下をはじめとした日本全体における空爆がもたらした悲痛な叫び表されるものを感じる。悲痛な叫びは戦後の闇市にも表される。罪で罪を贖うかのような闇市という場所、骨までしゃぶるの廓街と同じようにドラマが生じる(廓街に石井富子がいたがこちらの闇市ではパンパンしてはる)。マチ子姐さんが言うような「愛」はここにはない。だからドラマが生まれる。愛がない罪で罪を贖う場所で、野川由美子が愛を知るまでの通過儀礼が表される。彼女は原始に還る。プリミティフの魅力。野川のダイナミック・バディだけを表わすものではない。宍戸錠が、生身の体を感じることを信じると言うように、さらけ出す身体が愛を生む。されど、パンパンたちは愛を知らない。日本人を虫けらのように扱う米兵も言わずもがな。身体をさらけ出し煩悩を見せるも自殺してしまう米人牧師は愛を知らずに死んでいく。いかなるイデオロギーも払い除け、そしてそれと向き合うこと。身体さらけ出し煩悩を信じ罪と向き合う脱落者こそがクリープでありルーザーであり、幸福を知る。愛を知ること。
つづく
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