骨までしゃぶる、購入したので観る。おもしろかった。遺作の希望の圀と同様に、この映画出演第一作である本作品においても夏八木勲、苦難の世界でも弾みまくる仲良きカップルの片割れを演じる。強面での存在感は両作品で変わることなく表しているが、やはり若い頃ゆえ、爽快さはここに吹く。ゆっくりと眠れたと言う主人公のこれまでの人生を一瞬にすべて理解し受け入れるかのような所作は加藤泰ならではの情緒感であり、それはそこで一瞬に観客にも主人公のこれまでの軌跡をくみ取らせる逸した手腕であり(観客はずっと主人公のそれまでの軌跡を観てきているゆえ、夏八木勲より以上に主人公である彼女の抒情をグッと受け止めることであろうが)、その片割れを表現するにおいて夏八木は見事な表情と身体所作を表している。冒頭の主人公桜町弘子と兄弟姉妹たちの群像の構図、人生劇場や花と龍でも見慣れた構図、でも思えば、ショット内でのそうした構図はショット内に配置された人数は少なくても、瞼の母でも喧嘩辰でも三代目襲名においても遊侠一匹においても、そしてもちろんお竜姐さんシリーズにおいてもアルアルなものだな、となる。山下耕作にはないなこれ、となり、加藤泰ならではの加藤泰印なのかな、となる。そしてその後のローアングルローアングルローアングルの連打は言わずもがなであるも、桜町が夏八木を見て歓喜、階段を降りるあたり、その比較的短いショットの連鎖、顔のアップや動く身体の部分やあれこれ、ムーヴィーはムーヴすることの集体であること指し示し、これまた加藤泰お得意のもの、納得だな、となる。山下耕作の花演出に対する加藤泰の果物演出はなかったけれど、加藤泰美学のたいがいは集約されているのではないか、本作品。汐路章は主人公の背後に立って、これまで見た以上に異常ないやらしい目つきをして主人公を見つめる。菅井きんと三島雅夫もまた胡散臭い笑顔を浮かべ主人公を観察する。ブラック産業に否応なく連れ込まれる主人公である。廓が舞台ゆえに作品的にエロスの集合体かと期待するも、そうではなく、女性が自立する革新なるもの。廓での初夜も農村生活となんら変わらない生活の延長線で一形態、ちょっとした躊躇はあれど、悲しみなどといったしっとりしたものとして表されない。まだなにも知らない無垢なる女性からすればセックスも食事も同じことであることは当たり前のものなのであろう。大事なことはパケにすでに目につく感じで書かれてあるのであった。「無垢な小娘をしたたかな女に叩き上げる!」 これは廓が彼女を変える、という以上に彼女が彼女自身を変えていくということであろう。主人公は廓での生活、嫌な出来事も見て聞き、廓仲間に期待を託され、そして愛を知り、やがて彼女は意思を主張する。この意思決定の在り方は政治の季節にもフィットし、当時の若人は歓喜し、そしてまだ多くいたはずの長谷川伸や浪曲、講談など人情劇好きの大人たちにもとてもすごくアピールしたであろうぞ。
つづく
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