ばかのハコ船、ジャーマン+雨、剥き出しにっぽん、を観る。なにかの本で田舎での共同体の生活を描くことが、ミレニアムの頃のジャポンのなにをリプレゼントしているのかうんちゃらかんちゃらとあったのだけれど、ミレニアム・ジャポンのなにかを言い表す、というよりかは寧ろ、経済的、というか予算的な製作上での条件で田舎にひっこむとか、や、ジャポンのイマドキの女系バンドにチャットモンチー・チルドレンが数多くあるような感じで、その頃の邦画系には、ジャームッシュ・チルドレンが数多くある感じである、とかそのようなことで、日本製の問題とはかけ離れているのではないかな、とはなる。も、田舎での撮影という経費削減はロスジェネじゃね、的であるし、田舎の共同体はイマヘイ、新藤など、ジョポネ系な泥臭さを感じはし、ミレニアムは置いといて、ジャポン的なセンスはするのではあるのであるが。
ばかのハコ船、おもしろかった。冒頭の方で表される無言の所作と漂流性はジャームッシュだけではなくカウリスマキもあるな、やはり時代だな、となり、山下敦弘は無自覚に表されるヒトの行動や習性を描くのが上手いな、いろんなところで表されている、となる。ラストのふたりは堕ちるところまで落ちたのか、家族を描くも大船調には決してならず漫画雑誌ガロ系だな、となる。映画への依存が高かった60年代のジャポンから、その依存はロックと漫画へとも分散された70年代のジャポン、となにかの本に書いてあったが、本作を観るとシネマロックマンガそれらが浸透しているジェネがつくった作品なのだと思える。それとさ、山本浩司のロンチャニぶり凄い。タイトルのハコ船は、ノアの箱舟やイエスの箱舟のそれと同じ意で運命共同体なのかな、それならそれで主人公はそれはそれで凄い奴だ、となる。
剥き出しにっぽん、おもしろかった。山下敦弘において家族が表されていても重要なファクターではないけれど、石井裕也においては家族は、というか、親子関係はいつも重要となる。こりゃダメだと思わせる親においてもその親はやがて親の役わりをちゃんと指し示し、子は成長を表す。ヨウコの入浴から団地での突然の暴力、しっかり日本映画伝統を受け継いでいる、イマヘイワカマツシンドウしている。田舎の共同体生活あらわすものが農地改革かなにかは分からないが、とりあえず、登場人物たちを放り込みプロセス生ませる場所なのではないか、家族の絆や愛が試される場所、となるも、プロタゴニストは成長する息子である。本作、エスタブリッシュショットから察し童貞青春物語である。そういった意味では、山下敦弘もそうであるが、大阪系はオイニ―がひどい。しかしながら、泥臭さがありながらもなにか夢空間のフワフワさ、いわばファンタジーが表される山下敦弘に比すれば、泥臭さ、そこにプラスして現実に立脚する世界を石井裕也は表し、でもこれまた漫画雑誌ガロ風に戯画的なのである。無軌道な若人のチ●ポの矛先、その志向が向かう先に生まれる出来事々々々が表される。戯画風リアルのなかジリ貧のにっぽん、や、無軌道、や、リストラ、えとせとら。時事が好きな石井裕也である。爺をリスペクトする主人公は日本男児になるべく試練を受ける。痛みをまだ感じていない若人がココロとシンタイのペインをやがて感じることとなり脱皮する。 愛を知る。愛にイナズマにしてもハラがコレなんでにしても茜色に焼かれるにしても、夜空はいつでもにしても町田くんの世界にしても、それらはテクスト-織り成し-にあるもの、剥き出しにっぽんにはそれらの祖型となるものが表されている。
ジャーマン+雨おもしろかった。前の2作品は未見であるがこちらはかなり前に観賞。ほとんど忘れているこちらである。こちらも漫画雑誌ガロ風に戯画的なのであり、おまけにガロの漫画家が出演している。野嵜好美はこの役を受け継ぐ形で夜空はいつでも最高密度に青色だに現れたのではないかな。主人公が住む家には、彼女をリプレゼントする者たちが出入りする。子供に女にエトランゼ。此処にはない何処かが映画なのなら、これはいたってシネマするもの、それがジャーマン+雨。エンドクレディットの色彩と音楽はなにかどですかでん調、彼女の頭のなかを表すもの。バカ剥き出し、でも、だからピュアなのである。荒廃した大地に佇む家、それが彼女の住む家。求める絆、ぶっきらぼうにして無軌道な駄々っ子ガキ大将はそれをまだ分からない、分からないままに夢を見る。やがて夢のなかで出会える夢がラストの病室に有る。生まれる。
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