6/8(土)、浜松市指定有形民俗文化財である初生衣(うぶぎぬ)神社の織殿(おりどの)の修理工事見学会に行ってきた。
初生衣神社は遠州織物の聖地と呼ばれてきた。
祭神は天棚機姫命(あめのたなばたひめのみこと)。日本神話は、天照大御神が天岩屋戸に隠れたあと、彼女が織った着物を着て岩屋戸から出てきた事で、世の中は再び明るくなったと伝えている。この事から、天棚機姫命は機織りの祖神・衣の神とされた。
私が初めて初生衣神社を訪れたのは2022年8/31である。同年9/1付けの記録をご覧頂けたらありがたい。(下のリンクをクリックすればそのブログに飛んでいきます。)
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1983161526&owner_id=3341406
この時撮った織殿の写真が貼り付けてあるが、既に痛々しい程の有り様だった。
桁行3間、側面2間、切妻造、茅葺屋根。棟には千木を置き、棟押えを載せる。礎石上に角柱。妻の梁上に束を立てて棟を受け、桁上に棹縁天井を張っている。
古来神に捧げる衣を御衣(おんぞ)と称して、平安時代から「おんぞ祭り」が行われてきた。同祭りについては、以下に詳しく書いた。
・「おんぞ祭り」(’22.9.4記)
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1983185105&owner_id=3341406
おんぞは、初生衣神社から吉田宿(豊橋)湊(みなと)神明社に送られ、そこでも賑々しく祀られ、伊勢神宮へ送られた。
・「二川宿〜本陣、吉田宿〜吉田湊跡」(’22.11.11記)
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1983686653&owner_id=3341406
件の織殿の修復は総工事費4,000万円と見積もられ、浜松市の補助が2,000万円、残りは神社が工面する事になった。クラウドファンディングで募ったところ、550万円強が集まったという話は以前聞いていた。
その後の金策の推移は知らないが、ともかくこのたび工事が始まる事となり、浜松市文化財課が見学会を開催、希望者募集があったので申し込みをしてあったのである。
来年2025年が初生衣神社鎮座870年という記念の年になるため、それに間に合わせるスケジュールなのだろう。
現在の織殿は1801(享和元)年 に建てられたものらしい。その後、1999(平成11)年等にも修理は行われているが、全体の状況からカヤ材の修復程度では済まないとの判断により、根本的な解体修理を行う事となった。
13:50に現地に行くと、織殿の裏の受付で名前のチェックが行われ、ヘルメットを渡された。
最初に初生衣神社の鈴木栄男宮司から神社の歴史とおんぞ祭りについて、そのあと、市の文化財課の方から工事の流れについて。
そして、工事業者の方からはかなり専門的な話。
工事全体は掛川の宮大工(株)飛鳥工務店、加えてカヤの葺き替え専門業者は確か京都の美山(みやま)から来ていると言っていたように思う。
下は、修理に入る前の屋根の内部状況の写真と断面図。
織殿の周囲に鉄パイプで足組をし、全体をシートでカバーしている。
下は背面からの写真。神木のクスやケヤキから落ちた枝葉が屋根を覆ってカヤの朽ちを引き起こしていたため、今回、宮司の許可を得て神木の枝を大きく刈り込んだ。
サイドからの写真。隣の緑の屋根は初生衣神社本殿。
シートの中に入る。屋根のすぐ下に工事用の床が組んであるので、目の前に屋根が見える。
屋根にロープで留めてある横木は、その上に載って工事をするためのもの。
上から新しいカヤを縄で垂木に縛りつけ、順次刈り込んでいき、人が下に移ると、上の段の横木は外していくという手順。
妻側の刈り込みはかなり進んでいる。
下はカットしたカヤ材。
実は「カヤ」という植物はない由。ススキやヨシ、イネ等の乾燥したものを使用するとの事。
材料が少なくなってきて困っているという事はない。例えば、県下なら自衛隊の東富士演習場等に今も多量にある。問題は必要なタイミングで獲らせてくれるかどうか。
屋根の表面のカヤは黒くなって腐食し、抜け落ちて崩れかかっている箇所も多かったが、内の方は白く乾いている部分もあった。これらは、なるべく再利用する。幸い屋根に雨漏りはなかった。
美山から持参した茅葺の道具。
正方形の板に取っ手が付いているのは、叩いて斜面の調性をする。
船の櫂のような長い板は、軒下面を叩く。
刈り込みバサミは、金属部分が内側に反っているもの、真っ直ぐなもの、使用する場所によって使い分ける
その他諸々の道具。
礎石の割れや劣化で建物が傾斜してしまっていたため、茅葺の前に更地にし、礎石の交換、その上に柱の角材を載せる等の仕事は済ませている。
発掘の仕事のように、何処にどの石がどちら向きに使われていたか等、大変に気を使うだろう。
東側の妻の竪板壁には穴が開いていたため、手直しをしたとの事だが、どのように施したのか、現物を見る事はできなかった。
初生衣神社の周囲や境内には、多くの遺跡があり、文化財課の方が今回発見された奈良・平安・鎌倉・戦国・江戸時代等の土器や瓦を展示してくれていた。
奈良時代の丸瓦の内側には布の跡が見えるものもあり、初生衣神社との関連も考えられ、興味深かった。
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