9/1の日記「8月の「観た聴いた読んだ」と、その他備忘録」の中で、濱名惣社(はまなそうしゃ)神明宮と初生衣(うぶぎぬ)神社について触れた。
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1983161526&owner_id=3341406
この2つの神社は同じ三ヶ日町内の歩いて5分程のところにあり、古くから関係があったようだ。
濱名「惣社」(同意で「総社」の字を充てる場合も)とあるように、この神明宮には多くの摂社末社が祀られている。
その中に「天棚機媛命(あめのたなばたひめのみこと)社」がある。
小さな社と説明板。
天棚機媛命は、冒頭のリンク文中に書いているように、初生衣(うぶぎぬ)神社の主祭神である。
天照大御神は天棚機媛命が織って献上した神衣を着て天岩戸から出てきたと伝えられ、この事から機織りの神とされるようになった。
下は初生衣神社の織殿にある機織り機。
蛇足だが、初生衣神社の「たなばたまつり」は「七夕祭」でなく「棚機祭」と表記し、旧暦の7/7(新暦では8月下旬)に行われる。
大分横道に逸れたが、同じ神の社が極く近接して2つ存在するのはどうした訳だろう。
今日は、両社を巻き込んで行われる「おんぞ祭」についてレポートしようと思う。
上の訳もこれによって解けるだろう。
「おんぞ」は「御衣」の読みである。
初生衣神社の織殿で作られた御衣は、濱名惣社神明宮内の天棚機媛命社に一時入れられ祓い清められた上で初生衣神社へ戻されて伊勢神宮へ奉献の旅に出る。
この謂わば伊勢に向けた御衣の出発の神事を「おんぞ祭」と呼ぶ。
初生衣神社のおんぞ祭は現在、4月第2土曜日に執り行われる事となっている。
初生衣神社を出て濱名惣社神明宮へ御衣を引き取りに行く神官達。
幟旗の「太一(たいいつ)御用」の「太一」とは最上のものという意味、「太一御用」と書いて伊勢神宮(天照大御神)への奉納品を指す。
御衣を入れた唐櫃を担いで初生衣神社へ戻る神官達と幟旗を持った祭関係者達。
初生衣神社本殿前の巫女の舞。
令和4年度の祭の簡易編集版はYouTubeでも見る事ができる。
https://youtu.be/tAr4Nw2hgD0 (約7分)
では、おんぞ祭の経緯を前後に少し広げて見てみる事としよう。
西三河の大野(現、新城市大野)では古くから養蚕が行われていた。同地の山繭から作られた優れた生糸は赤みを帯びたつやがあり、「赤引きの糸」と呼ばれた。
「赤引温泉」という名は聞かれた事もあると思うが、伊勢神宮に奉納する糸は、弘法大師が発見したとされる同地の温泉で特別に身を清めた女性達によって紡がれた。「赤引温泉」の名の由来である。
大野は大化の改新(645)頃は「服部郷」と呼ばれていた。
現在は大野神社内にある服部神社に、旧郷名の名残がある。
「服部」は日本各地で「服織」とされている場合もあり、糸を織って服を作る人達が住んだ場所、または家系を指したであろう。
初生衣神社の鳥居のすぐ右手にも、「神服部(かんはっとり)家」なる住居がある。機織りとしてこの神社に仕えていた人の家で、本神社の神職として奉仕していた時代もあったようだ。
西三河大野の生糸は、県境の瓶割(かめわり)峠を越えて三ケ日町岡本の初生衣神社の織殿に持ち込まれ、神の召す御衣に仕立てられると、濱名惣社神明宮内の天棚機媛命社に奉納されて祓い清められ、唐櫃に入れて初生衣神社に戻される。
浦安の舞や餅投げ等も行われ、おんぞ祭によって初生衣神社から送りだされた御衣は、姫街道の本坂峠を越えて三河に入り、まずは豊橋の湊(みなと)神明社に届けられる。
(三ケ日初生衣神社のおんぞ祭には、赤引きの糸を織った三河大野の関係者や、豊橋湊神明社の神官も参加する由。)
そしてまた、湊神明社でもおんぞ祭が行われ(現在は5月の第2土曜日とされている)、賑々しく伊勢神宮に向けて送り出される。
豊橋で着物を着た女児等が踊りながら歌う「おんぞ歌」にはこうある、
「
出処(でどこ)は岡本さまよナ〜おんぞ、ヨイヨイ…」。
三ケ日岡本(の初生衣神社)で織られたものだとはっきり歌詞に示されている。
豊橋の吉田湊からは海路で三河湾を西へ進み、渥美半島の先、田原市の伊良湖(いらご)で一旦下ろされ、伊良湖神社でまたまたおんぞ祭が行われる。(現在は4月の第3日曜日が祭の日とされている。)
伊良湖から現在はフェリーに載せられて伊勢湾を西へ横断、対岸の伊勢神宮へ向かう。
奉献を受ける伊勢神宮側では、「御衣(おんぞ)」は「神御衣(かんみそ)」と呼ばれる。おんぞ祭は各地の神社で連携され、最後に伊勢神宮の「かんみそ祭」で終える事となる。
伊勢神宮の祭のスケジュールは毎年5月と10月の14日となっている。
各地の祭りは、従来、奉献物の受け渡しの流れで日程が決められていたのだろうが、現在は物とは別に、神社の年間スケジュールとして決められてしまっているようだ。
だから、以下のように祭礼日が前後している。
初生衣神社;4月第2土曜日→湊神明社;5月第2土曜日→伊良湖神社;4月第3土曜日
三ケ日以外にも御衣の奉献をしているところは各地にあり、伊勢神宮の10月のスケジュールは、各地の都合に合わせてセットされたのだろう。
江戸時代以前は、三ケ日から浜名湖を南へ縦断、新居の港で陸上げし、渥美半島を陸路で西へ運ぶルートもあった。
しかし、東海地方に被害を及ぼした地震や津波(*)が重なり、このルートは使われなくなってしまったとの事である。
(*)参考
名前のついた大型地震のみピックアップすると、以下の通り。
他に名前のないものや、余震も多かったようだ。
1605年 慶長地震
1686年 遠江・三河地震
1707年 宝永大地震〜大型余震多発
1723年 遠山地震
1819年 文政近江地震
1854年 伊賀上野地震,安政東海地震
その他
初生衣神社の伊勢神宮への御衣奉献の儀は、神服部家の旧記によれば、平安時代1155(久寿2)年より約800年の間続けられてきたが、1886(明治19)年に途絶えた。
その後、復活を期して関係者が「おんぞ奉賛会」なる組織を結成。
1968(昭和43)年におんぞ祭は復活した。
2020(令和2)年、おんぞ祭は浜松市認定の無形民俗文化財となった。
初生衣神社の織殿は、先んじて2007(平成19)年に浜松市指定有形文化財となっている。
〈参考資料〉
・「遠江・山と里の民俗」会報第015号〜『初生衣神社おんぞ祭』
執筆 浜松市文化財課課長 鈴木一有
編集・発行 2020年9/1、浜松市無形民俗文化財保護団体連絡会・浜松市
・初生衣神社ホームページ
https://www.ubuginu.jp/
・伊勢神宮ホームページ〜神御衣祭
https://www.isejingu.or.jp/ritual/annual/kanmiso.html
その他
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