70年代、観念の立て直し。近代化した日本が再考されながらも、一億人総ハクチ化。
さながらもニンゲン、歪んだ性と蠢く生。一方で、アンノン、オリーブ、ヤングオーオー、カップヌードルにカジュアル。芸能界に目を移すと南沙織、1971年に「17才」でデビュー。天地真理、1971年にテレビドラマ『時間ですよ』に隣の真理ちゃん役でレギュラー出演、「恋は水色」を歌う。小柳ルミ子、1971年に「私の城下町」でデビュー。山口百恵、1973年、第2弾シングル「青い果実」でイメージチェンジにトライ、大胆な歌詞を歌う路線は1974年の「ひと夏の経験」の大ヒットで大きく花が咲く。1974年に映画『伊豆の踊子』に主演。以降、映画13作で主演。1974年10月からはテレビドラマ『赤いシリーズ』。シリーズは6年にも及ぶ。1976年のシングル「横須賀ストーリー」から阿木燿子・宇崎竜童夫妻の作品を歌い新境地(2人を指名したのはスタッフではなく百恵本人)。1980年3月7日には三浦友和との婚約発表と同時に、「わがままな…生き方を私は選びました。(中略)お仕事は全面的に引退させて頂きます」と芸能界引退を公表する。キャンディーズ、1977年7月17日、日比谷野外音楽堂でのコンサート「サマージャック'77」にて「私たち、今度の9月で解散します」「普通の女の子に戻りたい!」と宣言。1978年4月4日には後楽園球場でのコンサート「ファイナルカーニバル」を行い、4年半の活動に終止符を打つ。南沙織、1978年に引退(1979年に篠山紀信と結婚。。。これはここではどうでもいい。宮沢りえのサンタフェは1991年である。。。これもここではどうでもいい。。)。1980年9月1日、ピンク・レディーは二人揃って解散を発表。1981年3月31日、後楽園球場で解散コンサートを行う。山口百恵、1980年10月5日に日本武道館で開催されたファイナルコンサート、「私のわがまま、許してくれてありがとう。幸せになります」と言い残し、最後のシングル「さよならの向う側」を歌唱。歌唱終了後、ファンに深々と一礼をした山口は、マイクをステージの中央に置いたまま、静かに舞台裏へと歩んで立ち去った。この「最後にマイクを置く」という演出はその後、伝説的なアクションとして語り継がれる。
そして80年代、セゾン文化にピア文化、いわゆる消費文化に広告社会主義。一億人総ハクチ化はとりあえず成し遂げられ、趣味人が輩出される。ふたつのフェティズムが日系トレンディ。ひとつはフロイト型フェチ、すなわち、或る部分への倒錯的嗜好である。もうひとつはマルクス型フェチ。物神化集団幻想である。ヲタクの発芽となる。薬師丸ひろ子は『野性の証明』(1978年10月7日公開)、長井頼子役でデビュー。『戦国自衛隊』(1979年12月15日公開)の子供のような武士役を経て『翔んだカップル』(1980年7月26日公開)。歌は1981年の「セーラー服と機関銃」、オリコン1位。こちらもオリコン1位、松田聖子は1980年4月1日に1stシングル「裸足の季節」でデビューする。1981年、レーガンがアメリカ大統領に就任し、チャールズ皇太子とダイアナ妃が結婚式を挙げ、スペースシャトル・コロンビア号が打ち上げられる。
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