おいしい結婚おもしろかった。森田的三段論法的には、恋愛・破局・復活の流れもあろうが、それよりも、恋愛の匂わせ・恋愛の本格化・大きな意味での大家族の絆の成就、という流れであり、まさにいいともが放送されていた時代の大きな輪が生まれる、小津をモティーフとしながらも、あまりにもエイティーズ以後の日本的パラダイムなパラダイスがそこにある。三田佳子の主人公が求心力になっているという点で、やはり彼女がプロタゴニストであること間違いない。また、わたし出すわ、や、海猫、のシンプルで単細胞にも見えるあまりにも淡白な造り、本作を観ると、こうしたシンプルな見せ方をやることからの流れが森田芳光にあるのかな、となる。けっこう大騒動が起こりながらもそうも感じさせずに(淡々としているという意味ではなく)表わすのは、やはり森田、さすが、となる。なにかコピーライターかのような簡素さ。質屋での女性客が訪れているときのシークエンスにインサートされる社員二人が同時に横を振り向くところ、なにかCM的であるが、時代的なものもあろうが、それが森田の資質であろう、まるでコピーライターのような語り口。それが森田節なのかな、きっと。噺家にも通じるけれど生活臭も泥臭さも消されたところはやはり、当時的な意味でのコピーライター的。また、唐突に入る夜景のインサートや反復の流れは森田的であり、臭さ消される人工観がそこにはある。小津にも通じるであろう計算された所作はヒト臭さを排し、田中邦衛を見れば、森田のホンでも演出は根岸なウホッホ探険隊に在る泥さ加減とは違っている。されど、ロボットが動きまくるだけのSFにならないのは、削ぎ落した動きによって目立つこととなるセリフがあまりにも人間的ユーモアに彩られているからであろう。こういうときってヒトはこう思うよな、反応するよな、が、3人のパパのセリフにも、お好み焼きのところやファウンテン前での斉藤由貴と唐沢寿明にも、ユーモアたっぷり微笑ましく表されている。そうした意味でもやはりコピーライターてきなのである。
ログインしてコメントを確認・投稿する