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2024年03月19日12:00

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名古屋で一番早い桜と堀美術館

3/16(土)、名古屋フィルの定期演奏会の前に時間があったので、堀美術館に寄ってみる事にした。
名古屋城の東、主税町(ちからまち)にあり、最寄り駅は地下鉄桜通線の高岳(たかおか)。
駅を出ると「桜みちまつり」なるポスターがあちこちに貼ってあって、堀美術館はちょうどその道を通っていく事になる。これは花見も兼ねられると好運を喜んだ。

東区泉2丁目と3丁目の間の道を北へ上がり、芳野2丁目の長久寺辺り迄約1.4km、140本の桜並木が続くとの事。
1955(昭和30)年頃、「名古屋で一番早く咲く桜を」との地元の声で16本植樹したのが始まりだそうだ。
オオカンザクラは淡いピンク色、カンヒザクラは紅紫色の花弁をつける由。
歩いていくと、道の両側にオオカンザクラらしいピンクの桜が北の方迄ずっと続いているのが見える。
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ソメイヨシノよりも幾分ピンクが濃い。
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名古屋は20℃を超えるとの予報の通りポカポカ陽気で、この桜を目当てにやってきたのであろう市内の人達がのんびりと歩いていた。
まさに今が満開である。
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この辺りは「文化のみち」とも呼ばれるそうで、周辺には歴史を感じさせる白壁の屋敷や、文化的でおしゃれな店舗も並ぶ。
江戸時代、名古屋城の南エリアは商人の街として、ここ東エリアは武家屋敷が集まったと言う。
そして、明治以降は近代産業の担い手となる起業家が住まう事になる。発明王 豊田佐吉の弟 佐助の、陶磁器の貿易商 春田鉄次の旧邸は今も残る。
外堀通り、または主税町筋、白壁町筋を東へしばらく行くと、昨年11月に訪れた徳川美術館がある徳川園迄の一帯を、現在「文化のみち」と称しているらしい。
「桜みち」の中央にある洋風の二葉館は、日本初の女優 川上貞奴と電力王と言われた福沢桃介が住んだ屋敷を移築したもので、地域の資料館となっている。

二葉館の先を左(城側)に折れると、立派な屋敷やレストランのある一角に堀美術館はあった。
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あとから調べると、ここには2013年4月にも来ていたのだが、記憶が曖昧だ。ほんの僅かだが、下の日記で堀美術館について触れているので、来たのは間違いなさそうだ。

参)「円山応挙展/愛知県美術館と、堀美術館」(‘13年4/12記)
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1898842019&owner_id=3341406

どうやら、頭の中で、一宮市にある三岸節子記念美術館や長久手市の名都美術館とごっちゃになっているようだ。前者は2012年10月、後者は同年1月に訪れた。

堀美術館はその後、2019年に改築、新館が加わってリニューアルオープンした。
行っているのは所蔵品展で、昭和初期にパリに留学し、様々な困難と闘いながら洋画を学んだ画家達の作品を重点的に展示している。佐伯祐三、梅原龍三郎、藤田嗣治その他。彼らは日本に帰り、日本人としてどんな洋画を描くべきか苦悩し努力を重ねた。
また、杉山寧、加山又造、棟方志功等の日本画家・版画家の作品もある。
展示総数は82点。

新館の大展示室を特別に与えられているのは三岸節子(1905-99)の28点。これだけまとめて観ると、大胆な形の掴み方や独特な色使いに凄みを感ずる。
太陽をテーマまたはモチーフにした作品が、中に6点。三岸は太陽の画家である。

アトリエ兼住居を1964年に軽井沢から大磯に変えて、三岸は言った、「私は大磯に移り住んで太陽画家になった」(エッセー集『花より花らしく』1977)。
展示中の《太陽讃》,《太陽讃(��)》(1965)、《窓の静物(雲の流れ)》(1966)、《太陽讃歌(冬日)》,《太陽讃歌(ミモザの春)》,《あおい晨》(1968)、何れも大磯移住後である。
大磯のアトリエを、三岸は「太陽の家」と呼んだ。
日光の降り注ぐ大磯の自然環境が、三岸にはマッチしたのだろう。

参)「三岸節子「太陽の画家」」(‘23年7/24記)
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1985554073&owner_id=3341406

28点の作品の制作年代は、1940年/35歳の《室内》から1998年/93歳の《さいたさいた桜がさいた》迄幅広い。
三岸はまた花の画家でもあった。
彼女はこう言っている、「生涯で自信の持てる花一枚が描ければと思っているの。私の見た、感じた、表現した、私の分身の花を。その一枚のために何千枚も試みて生きてゆこうと」(画文集『未完の花』1994)。

様々な花々を彼女は自画像のように描いたが、桜だけは若い頃描く事ができなかった。
「ぱっと咲いてぱっと散るから、人はみな潔ぎのよい花だと思っています。しかし、桜の花は命が短いから、むしろ生命への執着、執念はただごとではありません。(中略)生命に執着し、執念を燃やす怖さが描けなければ、本当の桜を描いたことにはなりません。」(吉武輝子著『炎の画家 三岸節子』1999)

1992年、三岸は脳梗塞で倒れ、左半身に麻痺が残った。
そして、「今の自分なら桜の美しさだけでなく、生命に執着する怖さも描くことができる」と、90歳を目前にしてようやく桜と対峙したのである。
こうして桜の絵は三岸の遺作となった。
最後には絵筆を持つ力がなくなり、彼女は腕に巻いた布に絵具をつけて描いたと伝えられる。

私は、同じタイトルの遺作を三岸節子記念美術館でも観た記憶があったので、展示作品を前にして、これはひょっとすると借用なのかと思った。
が、帰って調べると、そうではなく、1998年制作の桜の大木の絵は2点あったのだ。

・堀美術館所蔵品;《さいたさいた桜がさいた》(1998)、110.9×110.9cm
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・三岸節子記念美術館所蔵品;《さいたさいたさくらがさいた》(1998)、130×160cm。
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前者は正方形のカンバスで、後者より少しサイズが小さい。
色合いがやや違うが、共にこちらに迫りくるような迫力に満ちている。
どちらが先かあとかは分からない。

いずれにせよ、満開の「桜みちまつり」の日にこの絵を観る事ができたのは、幸せな事だった。
 
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