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2024年02月07日18:33

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ヒットマンズ・レクイエム


ヒットマンズ・レクイエムおもしろかった。まさにハードボイルドの様相。その秩序のもと絆を保ち、人物たちは心の痛みを孤独に抱える。痛みを分かち合いながらもそれを吐露することなく人物たちは抱えもっているのである。ハードボイルドがブルージュで展開される。ケンが言うような、起きていながら夢のなかにいるような場所、ブルージュが表される。まるで絵画に描かれているような街というのは、視覚的にも、そして演劇では出せない人物たちの体験空間としても、映画作品として適している。それに、最終盤の大団円である、リアルにはあり得ない(必殺集団があんなあからさまに街中でドンパチするわけがない)アクションも演劇ではなかなか表されえないエンターテイメントであり、マクドナーは映画ならではのことをここでトライしている。ケンにとってそこは魅力ある場所であり、レイにとってはそこは退屈な場所である。舞台となる場所からは出られずその環境に馴化しながらもそこをクソ呼ばわりする。出られないその場所に対して悪態をつく暴れん坊の主人公はまさにマクドナー的である。子供を殺したことの贖罪を抱え込みながら、彼にとってはクソのような場所で愛を探す主人公。なにかを探している。しかし、それはたいしたものではない。しかしそれは、愛を育ませるものである。そのことをマクドナーは演劇においても映画においてもいつも表わすものだ。やがて表されるもの、その場所でどうにか生きようと踠く主人公。これもまたマクドナー的である。

ケンが電話向こうのハリーと話すシーンはオーディエンスをクスクスと笑わせるものであろう。リアルではないリアルっぽい所作がそこに表される。レイが外に出ていったと納得させるにはリアルから離れ乏しく、されどケンとハリーの性格や関係性を悟らせるには充分な空間がそこには表される。オーディエンスはレイが出ていったと思わせることできたことを納得せざるえない雰囲気がそこには込められている。そこにプレイライトにしてシナリオライターとしてのマクドナーの腕の確かさが表されている。それにしても、ハリーといい旅館のマダムといい、自身の仕事に関してシンシアに律儀である。マクドナーの本来持っている質が表されているのか。ところで、情けないパンクがジェレミーレニエだとは全く気付かなかった



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