PERFECT DAYSおもしろかった。こぞって役所広司ばんざーい、で讃辞な感じが溢れているけれど、それならば敢えて粗探ししてやろうといじわるな考えもって観るわけでもなく、どれどれどんなものかヴェンダース、と上から目線でももちろん怖れ多いことでそれもなく、ヴェ、ヴェ、ヴェンダースさまー、と尊い見方で観賞というわけでもなく、できるだけ無心で、情報といえばニューズウィークでの記事(こちらも礼讃的な内容だった)だけで観る。でもPRの企画から始まったという情報が頭の中に入っていたからか、朝日のあたる家を聴きながらの運転シーンなど、なにかCM的なもの、それから続くものが、紀行PR映像な感じもしてくる。トイレがあまりにも綺麗すぎたのや画角がスタンダードサイズなのも、そう感じさせるのに貢献か。引きの絵なイメージのヴェンダースゆえか、けっこうテレビ・サイズ的に肩上ショットがいつになく多いな、ともなる。も、後でパンフレット見ると、あのヒトもこんなヒトも出ていたのか、となり、気が付かなかったのはやはり引きの絵も多かったからなんだろうな。その心情伝わるべきプロタゴニストであるゆえの寄りの役所と他の引き絵のキャラのコントラストか。言葉少なすぎの役所が表現過剰にも思えたりするも、ノン・ジャパニーズのオーディエンスを所作で分からせ導くためだったり、台詞過剰にしたくないヴェンダース流だったり、あるいはサイレント映画へのオマージュだったり(夢のシーンは表現主義映画へのオマージュにも見える)するのだけれど、その言葉少なさのキャラはなにかマルセルマルソーやジャックタチを想起させ、主人公の飄々としてるとこやピュアなところを目立たせオーディエンスにほっこりとした笑みを浮かべさせる手段なんだろうな、とても映画的。ループ形式でだんだん徐々にルーティンから変化する進行かと観る前では思っていたけれど、さにあらず、主人公の眼に映る木漏れ日や空、人たち、と最初から変化は常に描かれ、ビルマーレーはグラウンドホッグデイ的なものではなく(逆にあんな変化のない毎日だったらおかしいし気が狂う)、もう二日目から、朝の支度もショートカットにテンポよく表され、やがてだんだんと夢だけが浮かび上がるような感じになるのもリズムとしてよい。写真だけではなく、記憶や痕跡、跡、影、視覚に表される像、といい、多くを語らないことといい、映像学的にいえば、お手本の集積のような作品でもある。キヌガサあるいはマンレイ的な夢であるが、翌日というより、表現主義あるいはレイヨグラフ的な夢から転じ明るい色彩になるも、夢に入ってゆく或いは夢の続きな感じが続くものという感覚、そうした展開がよい。ヒト誰しもが持つ心のわだかまりやモメントとしてある喜怒哀楽が多くを語らない中あるのであり、それが日々に照らされる。ラストのヤクショの表情、いいな。ラストに書かれていた木漏れ日のこと目が悪くちょっと読めなかった。なんて書いてあったのかな、
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