鴻上尚史的に言えば、ネオリベラリズムはオリジナリ―、オーソリティーにラベルするトランスナショナルなものであり、コージンカラタニ―のトランスクリティーク的なものとニアリーイコールするけれど、奥田民生になりたいボーイは妻夫木の風貌により、 キャピタリズムいこーるネイションいこーるステートにはならない新しいソサイエティ―をビルトすることイマジンできる(けれどれみふぁそだしど、あらゆるニーズに応えるということ、それはホントのフェイスを見せないジャポンのディプロマシーみたいでほんとはテラーだけれど)、と、鴻上尚史ではなくルー大柴になっちゃったけれど、ヲタクはシンシアリーそうなのか、2度観たけれどヲタ恋、どんなエンディングだったかパーフェクトにフォーゲットしたので、どんなラベルが展開されるかが愉しみである。
以下は先ほどいいタイミングで、FBにリマインドされた過去の記事(まだ書いているところも見られているのかな)。なんか似ているなと思ったら、ふたり展でこれら公開されたんだね。
以下
レーガノミクス等キャピタリズムを批判対象とするシミュレショニズムの時代の申し子、というより、カワイイ系ヌイグルミ系の先駆者のマイクケリーとジェフクーンズ、同世代でありながら、ケリーはポップに潜むアブジェを繊細に暴き出し、クーンズは消費社会とスターシステムをそのまま形象しちゃって、そうしたセンス、この2つの作品にはそれがナウなヤングにバカウケに表されている。
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