キリエのうた、おもしろかった。広瀬すずはとって付けたような役なのか、いる必要がある役なのか、或いは重要な役なのかよく分からず。彼女は岩井テクストにおけるいつものペルソナな役回りという面もあろうが、ギターを譲り渡したりマネージャーを買って出たりしてキリエをうたへと導くメンターであり、作品中をはしゃぎまわり善であり悪でありひっかきまわすトリックスターであり、すなわちリップヴァンウィンクルの花嫁における綾野剛が体現するアムロとほぼほぼ同じである。でも、破天荒ぶりはやはりペルソナ、コッコが体現するヘンテコなオンナノコ、真白ともほぼほぼ同じである。けれど、ペルソナ的にはラヴレターでみぽりんが体現したふたりのペロニカと同じように、ふたりのアイナジエンドがペルソナと言えるであろう。だから、キリエのうたは亡者のうたとも捉えられ、そして現在のキリエに歌い継がれる生命にも捉えられる。すずは最初はお利口さんでどこか陰りがあるいつもの彼女が演じるようなキャラであり、そこから時間の経過を感じさせるためか、まったく違ったキャラ、かつての彼女は母や祖母がやってきたように女を武器にするようなスナックで働くことは嫌だと言っておきながらも現在の彼女は女を武器に日本を震撼させるキャラとなる。彼女も含めふたりのアイナと様々なペルソナの拡がりを表わしつつ、おもしろみを創り上げる。3.11のシーンがちょっとドラマティックすぎて、しかも悲愴感がなく、あれはいかがなものかとなるも(14歳ぐらいで映画もそれほどまで観たことなくして観ていたとしたら、もしかしたら愛と感動の名シーンとして一生のなか鮮明な記憶になったかもしれない。そういえばタイタニック的な感じではある)。それにしても、やはりユニーク。先の読めないパターンとしてのなにを語らしおん?的な摩訶不思議さはやはり岩井俊二の作品、唯一無二だな、とはなる。いつものように世紀末に生きるイノセンスの日常とその終焉が表される。しかしそこには、いつものように、希望も描かれている。
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