mixiユーザー(id:2566286)

2023年09月24日12:22

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桜の園(舞台)

中原俊の2ヴァージョンと違い、ラスボス的見地はなく、されど、原作の漫画にもそれはあるだろう、少女漫画的儚さはチェーホフの描く儚さと通じるところがあるのかもしれない。BTW、知り合いに「いうても」を連発ではないけれどときどきもよく使う子がいるけれど、私的にはその言葉を使う女性は珍しく思うけれど、家族の影響か彼氏か、或いは友人や学校生活による集団的無意識が成り立たせたものか、となる。原田美枝子チェーホフの桜の園おもしろかった。ラネーフスカヤと彼女の兄の大地のような大陸的性格、そののほほんさもまたブルジョワジーの集団的無意識によるものなのか。いうても、彼女の娘たちは現実主義者で傾く家計のことは直視している。いつの頃の作品かと調べると1904年、となると、まだロシア革命が勃発されてない頃、それゆえ没落ブルジョアは皇帝一家を比喩しているわけではないのだな。とはいえ、いうても、マルクス主義による結党はもう生まれており、第一革命目前であり、国民の不満はかなりあった頃ではあるのだな。チェーホフは名前は知ってるだけであったのだけれど、接近したのはウディアレンを通じてであろうか。アレンのチェーホフ好きなセンスの作品でも、昔はよかった的な思い出ばかりに浸る人物が出てくるけれど、いま思い出せばテネシーウィリアムズ的な主人公のブルージャスミンもそんな感じ、テネシーもまたチェーホフが好きなんだろうな。無情と無常が掛け合わされた桜の園であるが、チェーホフは本作を喜劇と考えていたようだけれど、八嶋智人と松尾貴史が彼ららしいセンスを出していたのだけれど、オリジナルの舞台でもこうしたコメディ的なセンスが出されていたのだろうか、いうてもオリジナルの演出をしたスタニスラフスキーは悲劇とみなしていたらしいから、荘厳にしてしっとりとしたものに充ち溢れていたのかもしれない、かも。鉄で造られたような舞台を占める大きな四角いボックスがクレーン鎖で上にあげられ、そこには、プチプチと潰れるプチプチがあるビニールでくるまったヒトやモノが置かれており、懐かしきものがそこにあるような格好で始まる。ビニールは取られ、モノ々々が出てきて、登場人物の明るさでそこはなにかミカン色した明るさが輝くセンスとなる。明るさに人間のルサンチマン的ストレスも滲み出てきて、それでも生きることにイキイキさを感じさせるラネーフスカヤが儚さのなかに力強さを生む。原田美枝子は身体ごとそれを舞台で体現する。素敵でした。川島海荷も出ているんだな。彼女は 9nineでもドラマでもなくアリナミンのCMレストラン篇でファンになった。原田美枝子と川島海荷で観に行ったわけではないのだけれど、いうても結果、原田美枝子と川島海荷をよく観ることとなる。オペラグラスを借りて観る。まあまあ前の席だったからよく見える。気付いたのは、初期サイレント映画における、物語られるプロセスでいきなり大きくなるように見えるクロースショット、あれは当時に演劇観賞でオペラグラスをよく使っていたオーディエンスからすればさほど驚くものではなく習慣上で必要なものだったのかもしれない、かも、となる。いうても、ニッケルオデオンは庶民のもの、オペラグラスがカスタム道具の視覚のエクステンションでもないだろうから、やはりいきなりのクロースショットはサプライズされたのかな。と、こうした観劇観賞となる。いうても、映像的視野にたって観た観はある。いうても、いうてもの使い方がところどころおかしいような気もする。



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