知りすぎていた男おもしろかった。アメリカがアメリカをかなりかなりに謳歌しているアメリカンなフィフティーズの様相、それはホームドラマのような家族3人−パパはなんでも知っているようなパパ、歌が上手な美人ママ、元気でユーモラスなおちゃめお坊ちゃん−の明るく和やかな会話の冒頭から表され、そこに国家の暗躍と内紛が入り込み、世界が次第と拡大されていくストラクチャー。本作がリメイクした暗殺者の家のストレートな拡がりに比すれば、”偶然”を大きく取り入れ、それ故に主題曲のケセラセラもだからそうなのかと気付かせ、モロッコでドリスデイをあの夫婦が見ていたのは彼女がスターだからという偶然で、Jスチュワートが妻に誘拐の真実を言うまでを時間かけるときそこに彼自身のそれまでの経過の整理と真相の解明(フランス人エージェントが追っていたのはあの夫婦)は偶然に生まれるものであり、アルバートホールに向かうのも事件があるのを知っているからではない偶然であり、様々な偶然のなかあれこれ選択を考えることがホールでの大団円での悩み恐怖するサスペンションのなかのドリスに縮約される。その後の救出作戦のスリルもおもしろかったし、暗殺者の家にはないものだし世界事件は解決したのだけれどあれは蛇足でもなんでもなく、ドリスデイのキーとなる歌のみならず、レベッカのジュディスアンダーソンに匹敵する怪演するブレンダデバンジーの改心もドラマとなる。北北西に進路を取れのラストの手と手を取り合う主人公とヒロインから〜の新婚旅行のラストシーンって余韻もなにもないショートカットすぎるエンディングだなといつも思っていたけれど、ヒッチコックってだいたいが絆が結ばれるところで終わるってのが定番で、逃走迷路にしても暗殺者の家にしてもバルカン超特急のお婆ちゃんとの再会にしてもそうなんだな。本作も待ちくたびれているゲストが待つホテルに、ただいまと、絆を取り戻したアメリカン・ホームな家族3人が笑顔を見せる。バーナードハーマンの客演もおもしろし。
エドゲイン事件が本作公開の頃だけれど、ヒッチコックはいよいよアメリカもおかしくなってると思い出したから着手したのかサイコであろうが、まだ本作の頃はゴールデンフィフティーズの亜米利加を表わしている(JスチュワートとDデイ(!)はまさにこの時代におけるホームのゴールデン・カップルである)。第二次大戦の勝利を誇らしげにしまだベトナム戦争を知らないアメリカのこの時代と言われるけれど、一方でチャップリンは、私の記憶が正しければ、独裁者、殺人狂時代、ライムライトと、ベトナム戦争後にアメリカ人作家たちが描いたような厭世観をすでにそこに表わしている。いよいよアメリカもおかしくなってるということとノスタルジーが在る。全てを壊すモダニティはすでに、もちろん、始まっており、それを憂いていたんだろうな。
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