ハネケとフォントリア―は暴力の歴史に関心あり、それもヨーロッパのだけれど、それに付け加えるとすれば、メランコリーだろう。あまりにも暴力的だからメランコリーにならざるえない、というより、ヴァイオレンスとメランコリーは分けて考えた方がいいのだろうな。なんでメランコリーなのかな。宗教が導く歴史性と関係があるのかな?でも、フェリーニとブニュエルは陽気だな。なんでかな? ラテンの血が騒ぐぜ的な鬱である。アメリカもメランコリーって感じはしない。ジャームッシュはメランコリーではない、むしろコメディだ。ひいた絵でオブジェクティヴに表すガスヴァンサントのエレファントだってメランコリーではない(そういえば、ドラッグストアカウボウイも主人公の内面の声で始まるが、自身を客観的に捉えるセンスがなされ、たしかマラノーチェもそうではなかったか)。アメリカはメランコリーではなく、アイロニーだな。風刺的に、分析的に自己を捉えるセンス、そこにいくぶんかの自己諧謔のスパイス、それがアイロニーとして成るのかもしれない。だから乾いた哀愁がある。
ハネケとフォントリア―も自己分析的だろうけれど、そこには自己諧謔もあるのかもしれないが、悲哀があるというわけではなく、やはり違う。メランコリーである。
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