昇天峠おもしろかった。結婚式の当日に母の危篤の知らせや妻の笑顔の後に顔を下に向ける彼女の所作などで、幸と不幸はコイグジスト、共存すること表される。コインシデント、偶然とはそういうことであり、それが悲喜劇、不条理である。されど、それだからこそ昇天はある。昇りつめるバスとともに、いけないことだけれどやっちゃうこと、フラットではない道に生まれることが語られしおん。人生かくあらん。夢と現の間の揺れ、それが超現実であり、我々がまだ見れず知らない現実である。フランコ政権への意思表示であろうか、民主制や教育の尊さもブニュエル、本作で指し示す。二重に物事が存在するこの地で、或いは、二重に存在するからこそ、主人公と彼の妻は理想する。リリアプラド、セクシーである。幻影は市電に乗って旅をするでの彼女もまたそうである。こちらの作品は街いたるところを表わし、ネオリアリズモ的。都市の問題、社会の問題も垣間見せる。ライフ ゴーズオン、されど人生は続くように、市電は進むことをとめれない。失業であろうが、巡礼であろうが、食糧難であろうが、市民は逞しく生きていく。魂のジュリエッタおもしろかった。茂る緑を越えるショット、家庭のなかを、或いは主婦の心理のなかへと入り込みそれを窃視していくかのよう。最初にこれ観たときはマシーナはカビリアのイメージが強いので(道はあまりにも寂しすぎるので観たのは一回きり、一方カビリアの夜はたくさんの数)、庶民的市井感のない奥さま風に違和感があり、アントニオーニのような愛の不毛的描かれ方にも違和感があり、それに今まで以上にロータの音楽が電子音楽強めであり、フェリーニのものとしてはとっつきにくい感じであったという記憶であるが、サテリコンへと向かう前のこうしたセンス、今回はとっつきにくさはない、となる。それまでのフェリーニの集大成をここで描いているかのよう。これの後にフェリーニ、けっこう変化していく(が、その後の要素もここには満載)。女性版の8 1/2かのようであり、8 1/2でのサウナの枢機卿は風呂に浸かる女性占い師へと変化をし、サンドラミーロが今回も廃頽と元気を表わし、前期にあった神秘主義はそこでは巡礼や基督ごとであったが、本作(そしてこれ以後でもあろう)ではオカルティズムが芽を出す。都市社会にある不安、されど主人公はそれを受け入れ、幼き頃の自己拘束を解放し自身であろうとし、広大なショット、カビリアの如くに林のなかを歩いていく。
つづく
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