よこがお、おもしろかった。こちらもレズボスか。LGBTQのQなところも感じ是枝は怪物に近似値に感じるも、やがて海と本作どちらの人物たちも大人だから確信的なラヴをしたいのだろう。でも、やがて海へと届くは、友人以上恋人未満ってより友人以上恋人以上の崇高な感情を感じるも、こちらはもっとドスグロを感じる。なんか現在進行形の旬のヒトのは観ると知らず知らずにその時代の傾向に、気がつけばなるのかも、と避けているけれど、知らずに中川龍太郎を観てしまい、よくよく思い出せば、濱口もディコンストラクションベイビーも観ているので、一本はいいかな、と本作を観る。深田晃司も東京芸大映像出身なのかな、黒沢イズム満載である。冒頭の方から、パルス音はないけれど、不安蠢くクロサワイズム。そうこうしているうちに、カフェでの主人公の甥の顔が黒く見えないところから、主人公と甥が去った後の霊気感じるガランとした家の屋内まで、ほぼそうとなる。市川実日子は今までずっとアンドロイドかロボットにしか見えなかったが、今回はとても人間的なもの見える。筒井真理子、とても素敵である。上手いな。でも市川の内にあるドロリよりも、患者を介護する責任感があるからだろうけれど、あそこに居座る筒井の内なるものの方がもっとクロサワイズム的に怖いのである。不可解というか、よくあそこにいれるな、と状況の経過や誰が何をしたかの真相への経路よりも、人間の不思議さを覗き見る感じで恐怖すら感じる(ついでに言えば、謝りたいと言うので相手の家に連れて行くのは、相手のトラウマを考えるよりも自身の心の救済しか考えていないのではないか、と人間不信におちいる)。アメリカ映画なら、インディペンデントに自身の状況と潔白を相手側に伝え、相手の決断を待ち、そして「よく言ってくれた、私は貴方の潔白を信じる」とハグして迎え入れ、オーディエンスはOhhhhと感嘆とあいなるであろう。でもないか。アメリカ映画の方が保証があやふやな社会ゆえ解雇を怖がり黙り続け、それはそれで別の社会ドラマのストーリーに発展するだろう。真実と事実のニアリーイコールながらも大きな違いが表されたりニュアンスによる伝わり方や解釈の齟齬が社会ドラマちっくに表されながらも、大きな焦点はふたりの人物の愛の関係性なのだろうな本作。ドンシーゲルやフライシャー好きなクロサワイズムらしく、あの洗車のシーン、筒井のガンマンの対決へ向かう決意かのように表されているのかと思うも、実際に平原に立つふたりの描写あっても、深田は剣戟を避け、これまたベルイマンの叫びとささやきのように、ラストは声にはならない叫びを表す。
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