黒い十人の女と最高殊勲夫人おもしろかった。
黒い十人の女
高度成長期が表され、サラリーマンがいい感じでワサワサしている。テレビの台頭が表され、クレージーキャッツがいい感じでバラエティーしている。スピードの時代において、いろんなものを忘れがちになる世の男性、それが船越。スピードの時代において、ロマンを持ち続けるも、その対象はもはや世の女性ではなく、世の女性たちも忘れられがちの対象となっている。
最初の観賞時にはそこには関心がいかなったと思うが、今回は山本富士子と岸恵子の競演に眼がいく。岸恵子の登場の仕方も彼女の容姿にあってクールだけれど、ラストもクルマで同じく滑走。妻という概念を新しく更新することを、イシュー提示の形として表すではなく、ブラックユーモアに表す。山本はもう夫に半歩下がって挨拶するような在り方は嫌だと否定するし、岸は船越を囲い者にする。時代もスピーディーならば、考え方もそれに即して変わっていけとばかりのユーモアにも充ちている。
最高殊勲夫人
こちらも高度成長期が表され、テレビの台頭も全体を占めないであるが描かれる。テレビ界は映画の方から驚異として表されるでもなく、イブの総てのような、映画界から敵対する業界(こちらではテレビ業界ではなく演劇業界)へのしっぺ返しとして表されていないのは十人の黒い女と同じである。映画とテレビ、まだこの頃は共存状態であったのだろう。
本作の恋愛感情、これもサスペンスといえるのかもしれない。ラストはどうなるかは分かっていながらの、相思相愛同士の恋のさや当てによるサスペンション。ちょいとヒヤヒヤしてしまう。なかなか素直になれない理由は最高君主である者の思い通りにさせたくないこと、その期待を裏切ることを目的としていることによるものであるが、サスペンションのプロセスがおもしろいから見入る。
溝口健二だけでなく増村、市川崑の助監もしていたというが、きっちり絵コンテで決めた構図をかっちりやるようなメソッドや機敏なモンタージュ、市川からの影響もあるのかな。絵もおもしろければリズムもよい。なにか中期から後期における(その頃の全部の作品でではないけれど)、現在を表し過去を表しまた現在を表しの、現在と過去の行ったり来たりの語りよりも、私的にはマスムラ、初期の頃の軽妙なモンタージュの方が好きである。
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