リアリズムの宿と茜色に焼かれる、おもしろかった。尾野真千子祭りである。リアリズムの宿のオンナノコ、たぶん今回においてはじめて、尾野真千子だと知る。原宿とうそつく彼女、その間(マ)おもしろかった。スキャンダルな作品に立て続けに出ていたときの森下愛子と同じように、もはや高校生ではない尾野真千子であるが、童顔ゆえ高校生に似合う。最終盤の駅の前にいるリアルな彼女、主人公の凸凹コンビは再会する。コンビはリアリズムの宿でリアルと出会い彼女とも出会い、リアルよりもリアルなシュールレアルな旅にさらに向かう。気付かないものと出会うなにげないものの中に本当のリアルが有る。茜色に焼かれるで風俗店の店長の永瀬正敏と同僚の片山友希と話するとき生きたくないなら死ねばいいと言うシークエンスに続く夜の路上で、片山からなんであんなこと言ったのかを言われたあと、尾野真千子は堰を切ったように、言ってもいい?と言い出す言葉、川の底からこんにちはの満島ひかりとそっくりである。このオリジナル脚本作品でのこのセンス、これが石井裕也節なんだな、となる。思えば、君と歩こうの目黒真希がカラオケ店の店長にバイトのシフトを増やすように要求し、もうカッツカツなんです、と言い店長がその勢いにタジタジになって観客に笑いを起こさせるところも、町田くんの世界で関水渚の足が貧乏ゆすり風に痙攣し、次のシークエンスで彼女が町田くん宅の前で町田くんを待っていて、で?なんなの?と笑いを引き出すシーンも、そうした演出上の意図はありながらも、石井裕也節なんだな、となる。日本人らしく我慢の我慢、というより、日本人らしく言葉を発することを知らないなか、ヴォルケイノーのように吹き出すマグマがそれなのである。マグマ吐き出す尾野真千子は満島や仲里依紗から連綿と受け継がれる直系のヒロインである。ブルジョワ爺も息子を虐める中学生たちも芹澤興人も中学教諭も店長もなにも罰せられず尾野の同窓生だけが被害にあうのは災難であるが、そこで見せる(そしてラストの演劇においても見せる)啖呵を切る尾野の勇ましさこそが、決して夜は訪れず茜色に焼かれる生の世界に必要なものなはずなのである。
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