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2023年05月15日11:54

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『映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ』と『リンダ リンダ リンダ』


『映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ』『リンダ リンダ リンダ』を観る。後者は何度も観ているからか、そのストラクチャーかなり憶えているけれど、前者は2度ほどしか観ていないからか、エンディングがどうだったかとか全く記憶がなく、松田龍平が倒れるところ以外は覚えているものものがなんだかあやしい。キネマ旬報でも映画芸術でも上映された年のベストワンになった作品であるが、憶えてないぐらいだから、ピンポイントが私的にはなっていない。前者、東京をそんなに冷たい街とも思えないし、でもって社会的メッセが潜在されて表されているかのようでありながらもモロにメッセがアカラサマに目白押しで、、なんだか説教ソングを聴かせられているかのようで、言葉足らずの口下手な山下敦弘の方がええわ、となるも、石橋静河が、幸せの意味を知らないのに幸せになれるかな、と言うとき、ハッとなる。観ながら現状の様々なイシューを表しているのだなと分かりながらも、ジェネレーション的な現状なのだ、とハッとするときそのこと気付くとなる。ロスジェネ、、アラサーぐらいのヒトにはもの凄く入ってくる、のではと思う。そうではなくても普遍的なものも表される。けれど、”時代”を痛感させるということでは、その時代とともに育んできて感受性がフラジャイルに敏感なヒトたちにほど胸がつんざく、のではないか。かといって、重くシリアスな現状が表されながらも、恋愛に関しては、軽喜劇、というか、軽やかなノリ(ラブコメに通底するとこある)ゆえ、気分は落ち込まない(逆に、なにをやっても上手くいかない、となると、カウリスマキかファレリー兄弟になってしまいかねないだろう、この時代)。いたってフツーに、おはよう、いただきます、とか、ありきたりだけれど日常的なものを言っていこうということ、それゆえインパクトがないからだろうか、いつまで経ってもラストが頭に入らない。いたって普通の取り戻し、っていろんな作品に使われるゆえ、ありきたりに思えてしまう。それに、女性ストリートミュージシャンが大写しされている宣伝車の現れ、この予定調和をよくぞ映画芸術が1位にしたな、ともなるも、このマンガ的な描き方って石井裕也的な魅力であり、そしてそれがまさに”現代”なのではないか、となる。


せちがらい世の中だからこそ言葉を探したい、だから喋る。でも出てくるのはテロに鬱、嫌いな言葉の死を意識。とても詩にならない青い夜空。ネオンが夜に映る。死の子供時代から意識、そしてホスピスでの毎日のような死との接し。言葉が出ない、笑うだけ。友だちの死は都会をさらけ出す。渋谷も新宿も、東京は嫌い。友だちの死はとうぜんに重くのしかかる。でも、愛も紐解く。目立たぬ者たちはこの都会、しっかり生きている。手探りで紡ぐように生きるを探す。頑張れは鬱にとってははよ死ねと言っているようなもの、でも、されど、頑張れがストリートミュージックにリピートする。世間からも家族からも疎外され、ひとりぼっちの都会の孤独。宣伝車がふたりの前に現れる。大写しの彼女。都会は生きている。夜空が青いからこそ、目立たぬ者どうし相手の傷みを想像できる。世界が半分も見えることは素晴らしいし、だから嫌なことを半分にしてあげる。田舎から戻り都会にシッカリ足を置く。都会と向き合う。しゃんとしとんしゃー。言葉は探せない。探さなくていい、普通に日常と向き合えばいい。ほら、指差せば花が咲いている。青い夜空も詩へと変わる。そんな東京はボードレールの巴里よりも、エトランゼしていない。孤独が共有できる。ポエジーがそこに拡がる。私はそこで生きている。


一方で後者も、意味を意味として回収しない。シンジは言葉を探すけれど、本作は言葉を探す以前に、主人公は言葉なんかどうでもいい。音楽があればいい。音があればいい。ケイは意味なんかどうでもいいと言うし、ソンさんは音楽でブルーハートを充〜たす。マツケンサンバの韓国語なんてどうでもいい。4人は川辺の道を、戸惑いのなか目的に向かい夢遊する。山下敦弘テクスト的に、夢遊病者、世界との距離、プリミティブな空間(そこにイノセンスや動物的欲望が表される。)、異人の闖入が世界を変える、ヘンなモノ等が本作には顕著に表される。異人の闖入が世界を変える、それは気遣わぬアウトサイダーが世界という舞台でヴィクトリーすることだ。ドブネズミたちの哥をうたう。哥は疎外を表しているのではなく、我々皆に今日に共通するハーツ。"ヘンなモノ、汚いもの”は実は、生活臭さであり、そうした人間臭さを受け入れることによってリアルと出会うことができる。されど、リアリズムの宿然りコケッコー然り本作しかり、山下敦弘テクストほとんど然り、リアルと出会うとき主人公はそれに背を向け"ヘンな"幻想に再び向かう。哥には意味はない。こころがうつっている。

映画によっては最終盤の方、思い出的にその作品ですでに表されたショットたちが表されるけれど、本作はそれまでのシークエンス群、学園祭に既に出てきた場所だけが雨降るなかに表される。ヒトが”いた”場所がそこに在る。そしてエンドロール、4人の笑顔が順に表される。そこがいい。



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