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2023年05月08日11:02

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卍


横山博人は卍おもしろかった。終始、官能的である。かつて観たときはそうではなかったのにな、、、よくよく思い出せば、あの頃は血気盛んな頃で、確か肝心のシーンだけを観るために早送りしながらほとんど飛ばして観たっけ、、。原作を読んだことないから原作を知らないけれど、これまでいくつかの卍を見てのイメージでは、痴人の愛のナオミに惹かれるのと同じように園子が光子の意味不明なものに導かれ後々は夫婦もろとも堕ちてゆくセンス。たしか誰かに宛てた手紙を読むような感じの増村ヴァージョンや、無駄なものを一切省いたようなミニマリズムな井口ヴァージョン、それに意味不明に不思議なオリエンタル外国人女性高樹澪を配したリリアーナカヴァーニのヴァージョンも基本はそうしたものだったと思うけれど、こちらの横山ヴァージョンは純愛を前面に出しているセンス。墓地での高瀬春奈の告白のシークエンスにおける樋口可南子の表情の変化がそのこと語らしおん。けっこうふたりのカンケイをイクオールな感覚で表している。光子の家族風景も表して、生活世界における彼女をその生活臭で分からせる。ふたりを平等に表すことで不思議性に引きずるでなく我々に近しヒトを現前させ、下げるか上げるか分からないけれど、レズビアンに対する認識を近づけ、公権力と世間体に抗う世界観をそこにおく。公権力の敷地で展開される世間からはインモラルとみなされる出来事のなか、森繁久彌的なノリを出す原田芳雄のやがて表すアウトローぶりが相まり、頭の中が白くなるエクスタシーも表しつつ、暴力と権力を開示する。また、子を産むかおろすかを迷う男にだらしないかのような光子の母親や園子の友人のだらしない男との間に生まれる赤ん坊や、子を持とうとはしない園子が表され、墓地の石仏像がなんだか水子に見えたり、彼女たちは母性である前にまずは女性なのだ、と感じさせたりもする。最終盤の裁判はリヴェットぽかったけれど、そこもまた楽し。それでもまだ想うのは、光子は園子の子供が欲しかったのではないかなぁ。。最後の行きつくエクスタシー、悲恋の訪れとともに純愛のタナトスと堕とす(のか上がるのか)。純白に忘我の訪れに法悦する。




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