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2023年05月04日13:28

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ダイアモンドは傷つかない

ダイアモンドは傷つかない、おもしろかった。かなりおもしろかった。マーチのような音楽とともに闊歩する主人公の美佐子っち、自動ドアが開くときタイトルが開いたドアの間に表され、ドアが閉じるときタイトルが閉じられる。勇ましいセンスのミュージック、私は傷つかない、という意味がタイトルにあることがラストまで観ていると思われてくる。主体のドラマなんだな。女子大生の知り合いが、今泉力哉の愛がなんだのこと尋ねると、あの映画はちょっと、と敬遠する子もいれば、成田凌のことをゴミ、ゴミと連呼する子もいて、こういう恋もあるという免疫がないのかな、最近の子は、となるも、さすがに本作の恋、ポスト・ママと娼婦、合致タイムのラストタンゴ・タンゴ・イン・パリの時代の恋愛なんだな、となる(山崎努の情けなさ、マーロンブランドをひょっとしてモティーフにしたのかな?)。それゆえ、ベルトルッチ的に詩学があり、ユスターシュ的にリアルに感じられる。美佐子っちと趙方豪が家に帰ってくるところから「あら、いたの」となり、山崎努とのやり取り、山崎が帰るときの夜景に伴う深遠な音楽、そして朝丘雪路の脹脛を揉むところ、ポエジーでありユーモアであり淫靡である。されど、というか、だから、か、現代っ子は本作のいかがわしい関係を観ると卒倒してしまうかもしれない。思えば、森田芳光のナインティーズそしてその後、ハルから失楽園へとキレイキレイがモダン・ラヴの在り方をリプレゼントしているのかな(そうでもないか、援交時代を通過したけっこう奔放な子もいる。むしろイマヘイやワカマツが描くようなドッコイ生きているという力強さがある子も多い。もっとも、もっと年配にはなっているけれど)。山崎努のおもしろさ、伊丹十三のぺダントリーのときよりもおもしろい。エイティーズと違って(本作もエイティーズだけれど藤田俊八はセヴンティーズから活躍するゆえ)、プラスティックさよりも泥臭さが人間臭さとして香れる(そう考えれば、相米慎二は人間の香しさを世襲している)。飄々としながらユーモア携え、その所作や表情に笑いをさそう。ダンディズムももちあわせるが、その人間臭さゆえの笑いも誘うのである。森田は阿修羅のごとくの仲代達矢は立ってるだけで色気を出すけれど、藤田における山崎は立っているだけで人間臭さを醸し出す。朝丘雪路は唇を刺すところひょっとしたら黒い家の大竹しのぶよりも怖いかもしれない(でもやっぱ目を開けっぱのしのぶの方が恐怖かな)。美佐子っちのエロス、やはりこの時代ならではの脱ぎっぷりのいいエロさである。あけっぴろげで人間臭さを醸し出せどプラスティックなフラジャイルもその身体に見せるのは、イマヘイやワカマツの時代とエイティーズからのエロスを折衷する。会田誠もビックリなスクール水着のエロさに脱帽する。フラジャイルにしてあけっぴろげ、まだ主張が通らない時代(女性は就職が困難だといううセリフもある)における主体性を、この女性ドラマは主張する。妻の雪路も愛人の月曜日のユカの現在形もなんとなくライフ・マスト・ゴーオンのなかでその意思も流される感じで日常に戻る形であるけれど、主人公は最初のマーチの闊歩と同じようにアイ・マスト・ゴーオンと夜の中で足を進めていく。原石は自らを輝かせるべく、主体を主張する。




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