籠の中の乙女おもしろかった。本作はなんとなくマッチ工場の少女を想起させるな。でも、ランティモスはロブスターの記憶は、カウリスマキ−(マイナス)ユーモア−(まいなす)哀愁+(プラス)ユーモアであるが、本作もだいたい同じで、そこにパゾリーニはテオレマと同じような南欧羅巴的な日光と不可解なハナシ系や、それに、ブニュルの記憶や夢とは異なるシュールレアルにして、リアルに有るヘンがハイブリッドする感じ。最近観ている森田相米も含めたアオイホノオ系は80〜ミレニアムまでを眺めること(註)で楽しいけれど、こちらの本作は創作意識を刺激する。ロブスターでもお気に入りでもそうだけれどランティモス、閉ざされた空間における人体実験を捉え、そこでの抜き差しならなくなくなくないない人間性を表している。
註 アニメ好きと豪語しているのだけれど、ゴーストインザシェルも今敏も知らなく、パプリカをヨネヅか?と聴いてくるので、そんな名前のアニメ作家がいるのかと思ったら少し考えると、米津玄師のことかと理解し、でも考えてみれば、彼女ら彼ら若人が生まれる前なんだな知らなくて当然か、となり、宮台のサブカル神話解体も若人が生まれる前で終わっているなとなり、家族の崩壊なぞは岸辺のアルバムの流される家の頃にはもうおこっていたのでは、渥美清の死よりも遥か遠く前に起こっていたのでは、共同体の崩壊は昔にさかのぼるんだろうな、となる。現在を知るには若人観察がいいのだけれど、「絶望の時代」の希望の恋愛学とか社会という荒野を生きる。とか日本AV全史とか戦争する国の道徳とかどうすれば愛しあえるの: 幸せな性愛のヒントとか父として考えるとかテーマパーク化する地球とか忘却にあらがうとかから予備知識を得て現在を俯瞰した方がいいのかな、とはなる。さっそく、ロマンチカクロックを読もう。
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