宮台の本で、柳沢きみおと吉田まゆみでは、気になる他者だけではなく、あなたのこと想うわたしはあなたからどう見られているかを考えるわたし、みたいな分からなくなる私、というようなことが現れたらしいが、アレンの愛を待てど訪れないことや自身が思うとおりに物語が実人生で起こればと思うも偶然が重なりハプニング生まれ、その物語が実現しない、でもって私って誰?という意識や、スコセッシの強欲な父性的存在の社会で悩むも、私自身が父性的存在と同じような暴力を発揮していて私って誰?という意識と、反省あるいは内面意識の反芻みたいなの、時代的に同じなんだな、となるも、60年代を見てきた師匠はアレンやスコセッシの主人公はたいしたことないことで悩んでいると指摘していたけれど、確かにそれはそうなのかもな、となるも、宮台の本では、柳沢と吉田の後の柴門ふみ等からは、読者も安心して読んでいられる《無害な関係性》、すなわち三角関係になろうが四角関係になろうが五角関係になろうが共同体性が壊れることのない、んなことありえない関係性が生まれた、とのことで、テレビでは金妻の3あたりからそれは起こったらしいけれど、なるほど、男女七人物語なんかも、そんな、んなことありえない関係性だったな、となる。
金妻、レンタル屋にあるかな。小川知子とかいしだあゆみ、当時はまだ30代だったとは。
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